〈教育の多様性〉の会
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  オランダの学校教育2 市場原理の学校選択
リヒテルズ直子さん

Date : 2003.03.04
Number : 002

ML ID : [diversity:0944]
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 もともと『縦割り社会』と呼ばれたオランダ社会は、その後ますます、多様性を拡大していった。嘗てオランダの植民地であった世界の種々の地域から元来のオランダ社会にあったものとは異なる文化や宗教を持つ人々が流入してきた(インドネシアのイスラム教徒、中国人、旧植民支配者やその子供たち。スリナムやアンチル諸島からの現地人や混血者など)。戦後の高度成長期には、労働者不足を補うために、多くのモロッコ人やトルコ人らの流入が認められた。その結果、嘗て主流であった、カトリック、プロテスタント、無宗教自由主義、無宗教社会主義に加え、イスラム教集団、ヒンズー教集団、なども、それぞれの信条に基づいた学校を設立した。
 『学校設立の原理』は、宗教的信条(あるいはそれに抵抗するもの)だけに留まらない。戦前・戦後を通じて提唱され、開発されてきた様々の実験校や教育哲学者の実践が学校設立の原理になっている例は全国に存在する。主なものだけでも、モンテッソーリ校、イエナプラン校、ダルトン校、フレイネット校、そして政府との関係がやや特殊であるがシュタイナー校などを挙げることが出来る。
 設立原理を同じくする学校は、全国的な協会に属し、そこから教材、教員養成、学校経営などの面でサポートを受けたり、連絡を取り合うことが出来る。
 オランダでは、人口の集中度の低い地方でも、今述べたような様々の学校が並立しており、そこから、市民は自分の子供にふさわしいと思われる学校を選ぶことが出来る。選ぶのは、親だけではない。『原理』を主張して学校を経営している『私立校』側も、原則的には、『御宅のお子さんの教育は我が校の原理に適さないので出来ません』と断ることも可能である。(実際にはそういう例は稀だが)
 さて、父母や保護者の豊富な選択肢を保障しているのは、『校区制が無いこと』と
『学校の規模が小さいこと』も重要な要因として考えられる。
 嘗てはオランダにも『校区制』があったらしいが、現在は、自治体の区域であれば、自由に学校を選ぶことができるし、自分の住んでいない他所の自治体であっても、基本的には、希望すれば通学が認められる。大抵の場合、子供が楽に通学できる範囲内に、小規模の、種類の違う学校があるのが普通である。場合によっては、設立主体の異なる、つまり、教育原理の異なる学校が複数隣接していることも稀ではない。四才から十二才まで、つまり、8学年を収容する小学校で、一校あたりの生徒数の全国平均は200人に満たない。大体、二十人から二五人ずつのクラスが学年あたり一クラスずつ、というのが一般的な小学校の姿である。これだけ多様な学校の教育の質を規制しているのは、市場競争による自浄作用、子供たちの知的発達度を測定する全国共通テスト、そしてインスペクター制度などである。子どもの転校は自由だから、学校教育の質が落ちれば、生徒数は減り、最低数を割れば補助金は受けられなくなり学校は存続できなくなる。文部省が指導要領を押し付けてこなくても親が判断している。

付録 「オランダ通信」第6号(2000年3月号)
[LINK])より
市場原理の学校選び(第6号身辺雑感、2000.3)学校教育が毎年8月の末から9月の初め頃に始まるオランダでは、その半年くらい前になると新入生とその父兄のために各学校でオープンデーや説明会が開かれます。
 日本のように小中学校の教育内容が全国一律に統一されていたり、校区制で通学する学校が自動的に決まってしまうという状況から見ると、なんでそんなことをするのだろう、と思われるかもしれません。
 しかしオランダでは『教育の自由』として各学校や各教師が何をどのような方法で教えるかについての自由がかなり認められていますし、父兄もまた自分の子供にとって相応しいと思われる教育を選ぶ自由が認められています。だからいろいろな学校がいろいろな理念に基づいていろいろな方法で教育活動を行なうのが当然であり、父兄は様々の学校でどのような教育が成されているのかを知った上で多様な選択肢の中から自分の子供に相応しい教育を選ばなければならない、のです。だから当然のこととして各学校はその教育理念と方法を主張する機会としてオープンデーを開くわけです。
 まず学校の種類としては、カトリックやプロテスタントなどのキリスト教の宗派的な倫理観に基づいて教育を行なう私立学校、その他、敢えて宗派的な主張をせず超党的な姿勢や世俗的な(個々の生徒の種々の信条を尊重するという)態度をとる、と主張する学校、それからモンテッソリー、ダルトン、イエナプラン、シュタイナー等々の教育哲学者の方法論に基づく学校などがあります。
 オランダの学校史をみると、上のような『教育の自由』はすでに1848年に確立しています。それは宗派的理念を教育の柱にしたいと望んだ私立校設立者の要請として確立したものです。彼等はさらに政府からの補助金を要求し1887年にそれが認められます。しかし私立学校側はそれだけでは飽き足らず公立校と私立校に対する国庫補助金による財政的平等確立をさらに求め、ついに1917年これが認められるに至ります。今からなんと80年以上も前のことです。そのお陰でオランダでは私立校にいっても公立校にいっても子供の教育費に大きな差はありません。それが一人一人の子供の『教育を選ぶ権利』を保障しています。
 日本のようにカリキュラムの詳細や教科書検定に文部省の管理が徹底し、全国一律の教育が行われ、高校ともなると、東大を頂点とする巨大なピラミッドを意識してすべての学校がタテに序列化されてしまう状況からすると、横並びの多様性はおそらく想像に難いものでありましょう。
 中高一環の中等学校になると、前のような宗派性や教育方法だけでなく、ある学校は古い建物だがこじんまりとした家庭的な雰囲気であるとか、ある学校は最新のコンピューターを入れたり近代的な建物を使って指導しているとか、また、ある学校は大学進学者の指導に力を入れているが、こちらの学校は職業訓練校に進む子供たちの指導に重点を置いている、あるいは他の学校ではできるだけ進路の幅を広くしてコース間の移動が容易であるようにしている、とかの違いが出てきます。年によって傾向や父兄等の評判が代わることも、当然あります。
 つまり、こっちの花屋は今年はチューリップがきれい、あっちの花屋はバラがいつもいい、というのと同じ、まさに『市場原理』であるのです。校長先生は会社の社長か店長さんのような忙しさです。
 もちろんこれは「原則」といえば「原則」です。前に述べたような『在留外国人』問題にあるように、この『教育の自由』のために地域的に通学する子供の社会階層に偏向が出たり、学校間の教育水準に格差が生じる危険は、管理の大きな日本に比べると遥かに大きいでしょう。
 その為近年オランダの文部省は、必須科目を定めたり、各教科の達成目標基準を設定したり、インスペクター(監査官)による査定を強化したり、『学校ガイド』の作成を各校に義務付けるなどして教育水準の保持を図っています。
 おかげで学校の校長先生は、単に学校の教育活動と運営に責任をもつばかりでなく、自分の学校が市場競争に耐える為の広報活動を展開し、かつ父兄や地域住民によい評判を得ていなければならないという大変な責任を負うことになります。校長先生や教師等のストレスは並大抵のものではないようです。
 しかし、、、、。『日の丸掲揚』や『君が代斉唱』の義務付けを巡って校長が教育委員会と教員の間で板ばさみになって自殺に追い込まれるような、そんな次元とは全然違います。

 
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