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リヒテルズ直子さん
Date : 2002.12.12
Number : 007
ML ID : [diversity:0577]
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古山さん wrote:
『教育への権利』を、突き崩しのために使わないで、作り上げるために使わなければいけないと思っています。
そうっと、そうっと、たくさんのものがスタートしていく。まだまだ、これから現れてくるのだと思います。
『教育への権利』と憲法解釈があれば、潰されない。
民主主義というものがなぜ必要かという例として、何百年も語り継がれることになると思います。
古山さんのヴィジョンの大きさに希望を感じ敬意を表します。
「教育の多様化」の実現は、大切なものであるだけに、確実な実現への運動が必要です。また、「多様化」「基本的人権としての教育の自由」の実現である以上、自分たちだけが正しいことをいっている、という態度を意識的に慎まねば、自己矛盾に陥ります。その点が、この運動の意義の深い点である、と思います。それが出来ない人に、個々の子供の自由を尊重した教育を提供することは無理でしょう。
しかし、じっと待っていてはいけない、、、何かを「継続」して発信しつづけねばならない、気の長い運動かもしれません。しかし、機は熟している。議論を起こさねばなりません。「教育」は、人の生き方、社会観そのものですから、本来的には、すべての人が参加できる議論であるはずです。何度もいいますが、もっと「地方」「郷土」の特異性を教育に反映させることは必要ではありませんか。それもまた、「多様性」を持つ教育の「内容」に関わる問題であり、そうした教育が全国でいろいろになされることは、日本という国が、大変カラフルになることです。そして、その「カラフル」な社会を意識した子供が育てば、社会のいろいろな面での「多様性」が自明のこととして受け入れられ、また、「国境」感覚が薄れて、気楽に海の向こうを「自分の世界」の一部として受け入れられるようになる、、、(外国語教育への子供自身の関心もそうしたところから生まれてくるはずです)。そういう「地方主義」と「グローバルな視点」との連動は、必ず起こってくると思います。
「多様性」の中身を、単にオールタナティヴ教育の「方法」だけでなく、何を教えるか(内容)、どう教えるか(立場)という点での「多様性」として考えること、もっと言えば、西洋的な背景から生まれたオールタナティヴ教育だけでなく、日本的な文脈の中での教師らの体験に基づく日本人自身の「オールタナティヴ教育」への関心も重要だと思います。元々、日本の「公教育」が上から人々に押し付けてきた根底には、
「民主主義の後進している、前近代的な」国民を早く「西洋並」に「近代化」させなければ、という「熱狂的信仰」に基づいているものです。しかし、そうした西洋的近代制度は、そもそも、「先進国」としての自負・自尊心をもつ西洋の人々が、自分たちの環境条件にあわせて、「自分の力で何とか解決しなければ」と思いながら、議論し、御互いを認め合いながら(啓蒙主義)生み出してきたものです。「近代化」の本質は、そのことに在ったのではないでしょうか。それならば、「日本的環境」「日本的状況」から、「日本人が自分で考えた「民主化」「多様化」の絵が描かれ、実行されていくべきです。明治以来、そうした考え方は、日本にも蓄積されていたのではないでしょうか。ただ、教科書が取り上げず、ものの溢れた時代には、思想界も軽視しつづけた、、、。運動を重ねながら学んでおくべきことは非常に多いと思います。古山さんもおっしゃるように、一人一人の力と時間は限られています。だから力を合わせねばならないし、一人でも多くの人にこの問題を考え、何かの形で貢献してもらわねばならない。「多様性」の尊重の原理は、ここにも現われているとおもいます。
あせらず、おごらず、あきらめずに。
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