〈教育の多様性〉の会
  〈教育の多様性〉の会・メーリングリストより
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  Re: さまざまな教育
リヒテルズ直子さん

Date : 2002.12.10
Number : 006

ML ID : [diversity:0554]
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古山さん wrote:
モンテッソーリ教育は、中等教育までプランを持っているのでしょうか。

オランダでは、中等教育の前段階でモンテソーリ教育をしているところが相当数あります。これは、ひとつには、小学校からの延長で来る子供たちが多いことがありますが、もうひとつには、中学に入って2年間のブリッジクラス(進路別の分岐を時間をかけてするための措置)の時点で、子供が大学進学コースのスピードややり方についていけない場合に、モンテッソリーの学校にやる父兄がかなりいます。オランダの場合は、進度の遅い子供が、普通よりも1、2年余計の時間をかけて回り道をしながら、最終的には、高専・大学に入る、という道が開かれています。そういう場合にモンテッソリーはよく利用されています。また、いわゆるアカデミックな進路ではない、特殊な職業教育、芸術コースなどにも、オールタナティヴ系の学校がよく聞かれます。
古山さん wrote:
ダルトンは名前を知るのみ、イエナプランは始めて聞いた次第で、内容をよく知りません。現在の日本で、取り上げているところを聞いたことはありません。

わたしも記憶が定かではありませんが、鶴見和子の書いているものの中で、確か、彼女が学校に通っていた頃にダルトン教育を受けた、といっていたように思います。記憶違いでなければいいですが、、、とにかく、大正から昭和の初めにかけて日本にもダルトン教育の実験校があったことは確かです。
イエナプランというのは、旧東欧圏の元東ドイツのイエナというところの大学の教育学部で実験教育が行われ、それが普及して出来た学校で、オランダではかなり全国的に普及しています。基本的には、社会主義思想を背景としています。最も根本的な原理は、『学校』は『現実の社会』を反映したできるだけ現実の社会構成に近いものでなければならない、という考え方で、年令の違う子供、社会的背景が異なる子供、障害を持つ子供などが、一緒にクラスを構成して、御互いに助け合い、影響しあいながら学ぶ、というものです。オランダの場合、オールタナティヴ教育と宗教的背景を持つ私立校とが組み合わさっている場合もあり、例えば、カトリックの私立だが、イエナプラン方式を採用している、というような例もあります。また、イエナに少し似たものに、フランスの工場労働者の子弟を対象に作られた、というフレイネ方式というものがあります。これもオランダに何校かあります。フレイネの場合には、独自の読書教材を作り、作文を非常に重視していたと思います。かつての日本の『綴り方教室』とも一脈通じるものを感じます。
古山さん wrote:
「自由学園」は、いくつかあります。歴史上では「トットちゃん」で有名になった巴学園なども、この系譜です。こういう自由学園は、現在の法制下でよいと考えているのか、あるいは、もっと別な制度の元でやりたいのか、どうなのでしょう。でも、まだ、そういうところに打診したり、連絡をとったりするのは誰がやるのか、その後の継続性は保てるのか、きっちりしたものはできていません。

このような、先駆的なオールタナティヴ教育の学校、カトリック、プロテスタント、仏教等々の宗教的背景を持つ私立校などに、もっと自らの倫理観をはっきり打ち出した、『社会的倫理』を明確に主張する教育をしたい、という動きはないのでしょうか。そもそも現在の日本の公教育制度に欠けているのは、「社会観」の育成、という視点です。オランダでオールタナティヴ教育が花開いた70年代の状況を見ても、権威的な大学・知識教育重視に対するオールタナティヴとしての、「情動」面の重視、「社会観」の育成の重視でした。小学校での宿題が廃止され、個別教育が重視され、点数評価や賞の授与を廃止する方向が一般の学校にも普及していきました。別に、新たに「教育多様性アライアンス』として創生していくのでなくても、それぞれのグループの中の意識ある教育者たちの意見をくみ上げていくような、シンポジウムとか、フォーラムとかを広げて、ここに孤立している教育者や親を『多様化』に向けてゆるやかに組織化していく方法はないのでしょうか。『多様性』を主張するが故にこそ、『ゆるやか』な組織、という考え方が大変重要である、と思います。
古山さん wrote:
世界にどのような教育法があるのか、学者ほどのレベルでなくていいから資料を蓄え、本格的な研究者たちと接触を持ち、いつでもデータを出してくれる人または、グループが必要だと思っています。

オランダに関しては、過去数年、まさにこのテーマで書くつもりで資料を集めてきています。実際に短い記事の形でも「オランダ通信』で報告してきています。オールタナティヴ教育の実践、最近の教育改革、オランダの『自由化』のための学校闘争をも含む教育史、統計資料など、いつでも出せるだけの準備があります。世界の教育法や教育制度については、日本でも「比較教育学」という学問分野があり、30年来研究の蓄積はあります。日本では、比較教育学は、東大、九大、広島大が盛んです。国立教育研究所も、その系統の研究者がかなり入っているはずです。私自身も実は比較教育学(修士)の出身ですが、唯一の難点は、研究者自身が、それらの国での研究に費やした時間が短く、また、必ずしも『親』としての視点、『実践的な教育者』と視点からの研究ではない(これらの大学の教育学部では教員養成をしていないか、それとは別の部門で研究していますので)こと、が難点として挙げられます。また、教育分野に限らないのですが、こうした比較研究の分野は、圧倒的に英語圏のものの研究が多いことです。そのために、日本が適用する可能性を含む他のヨーロッパの国々の報告が少なく選択肢が限られたままで、気付かれずにいます。そうした限界はありますが、少なくとも蓄積されている研究を一度鳥瞰してみるのは無駄でないと思います。ヨーロッパ型の教育制度とアメリカ型の教育制度の違いは、基本的に認識が必要です。それはまた、アメリカ型の民主主義の考え方、ヨーロッパ型の民主主義の考え方の違いを反映している、ともいえます。また、「市場原理」といった言い方で教育制度を評している事が良くありますが、その意味は、多様性を国が制度として認め、受益者が多肢の中から選べる、ということです。「市場原理」の根本は、「自由競争』「自然淘汰』が原理ですから、多様なものに競争をさせ、国民自身に判断させることによって、『見えざる手』が働いて、よい方法が残り、あるいは、悪いやり方が修正されていく、ということにあります。(アダムスミスの自由競争経済理論と同じ考え方です)要は、国が、どこまで、このレッセフェールをする度胸を見せるか、です。(しかし、教育に限らず、金融・地方政治など、日本がいま求められているのは、まさにこのレッセフェールによる無駄な皮下脂肪からの脱却であることはご存知のとおりです。)
古山さん wrote:
私は、日本の公教育の制度史を調べています。新たなテーマを持つ余力がありません。<教育多様性>の会で「それはいい、やろう」というようなものが出てきたときに、誰が引き受けるのか、どのようにやるのかを詰めていく機能は、まだ持っていないだろうと思います。私は、会合にも出ていませんので、よくわかっていないのですが。

教育の多様化を実現させるには、部分的な実現では駄目ではないか、というのが私の意見です。オールタナティヴ教育の実践者と信奉者に限らず、日本各地の地域の市民がそれぞれに、自分の郷土の利害を反映した教育の必要を感じ取り、それを実践しようとする意志がなければ、全国的に拡がらないでしょう。また、何度もいうように、教科書検定を廃止するとともに、各種の教育方法に見合った教科書を作る会社が複数に競い合う状況が生まれることも必要です。さらに、方法ごとにそれに見合った教育者を育てることも必要です。また、オールタナティヴ教育にしても「自主性』を重視する教育にしても、少数クラスが実現できなければ、実践的には非常に困難です。そう言う多面的な状況をそろえていってはじめて「教育の多様化』が根付くものである、と考えると、市民アライアンスの運動も、政治家に働きかけながら、大きな視野の中で、種まきをしながらひとつの大きな方向に向って総合的に動かしていくことが必要ではないでしょうか。長期的な視点を必要とする、しかし意義ある運動だと思います。(家永三郎教授の教科書闘争の議論に触れると、家永教授が主張していたのは、まさに、解釈を異にする歴史教育の自由化であった、という点で、明らかに「教育の多様化」運動とつながるものであると思います。)
古山さん wrote:
法律、歴史、教育思想などの分野で専門的な知識が必要になったとき、人を募って研究会をつくり、答申みたいなものを出すような仕組みがあったらいいと思っています。テーマごとに集合離散を繰り返す柔軟な形がいいと思います。固定していると、権威主義になりやすいし、新規参入が難しくなるかと思います。学生や若手研究者の方が飛び込んできて、半年後には専門家レベルになっているようなことになると最高です。

先行研究だけでも誰かが大急ぎに、このアライアンスの視点からレヴューしてみたらどうでしょうか。すでに生まれているもの、すでにある程度の蓄積のあるものについては、「ゆるやかな」組織の中に統合すべきだと思います。このMLは、参加手続き、過去の議論の閲覧手続きがやや煩雑なのが気になります。そのためにいささか「閉鎖的」な印象を与えるのではないでしょうか。教育は、「社会」そのものの反映です。また、教育は、将来の「社会」のあり方を相当程度決定付けます。そういう意味で、「教育」問題は、今現在の親と子供だけの問題ではありません。もっと誰もが参画できる、誰もが意見交換を容易に見れるホームページの作成が望まれます。外国から勝手なことばかり申しあげますが、ひとつの意見として参考にしていただければ幸いです。

 
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