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リヒテルズ直子さん
Date : 2002.12.08
Number : 005
ML ID : [diversity:0538]
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古山さん、小貫さんの一日中教審でのご発言、これに先立つ『教育の多様化』に関しての深い考察・行動など、いずれも敬意を表します。
親と子の基本的人権としての、「自分が望む」教育を受けるという意味での『教育の自由』に関して、オランダの教育制度は、『教育の多様性』こそが、『教育の自由』の基礎である、ということを具体的に示す良い例であると思います。
そこで、関心を持たれている方々のために、その歴史的背景を少しお伝えします。オランダでも、いわゆる、19世紀の初めの『啓蒙主義』の時代には、教育における『中立性』を求める考え方が主流になっていたようです。とはいうものの、元々キリスト教の国ですから、基本的にキリスト教倫理がその基礎にあったことはいうまでもありません。しかし、この「啓蒙」時代」の『中立』を求める、国が経営する学校では、最低限度のキリスト教倫理を教える、という方向にありました。それに対して、徐々にもっとはっきりしたキリスト教解釈に基づく学校経営がなされるべきである、という形で、「私立」校が、その存在意義を主張するようになります。その背景には、宗教改革で権利を勝ち取って出来たオランダ、という「プロテスタント」のキリスト教、それ以前のスペイン統治時代から残っている「カトリック」のキリスト教、という、社会倫理について同じキリスト教といえども解釈を事にする集団があったこと、があります。このような、倫理観をことにするグループが、「教育の自由」を主張し、国からの補助を求めておよそ100年間に渡って、『学校闘争』をしています。その結果、1917年に、オランダでは、公立・私立間に国からの補助の差が全くなくなっています。現在、公立であれ、私立であれ、生徒数の頭割りで国から教育費がでますので、親の負担にはまったく差がありません。つまり、私立校は、国から教育事業を委託された私立企業、という形です。公立校と私立校の唯一の違いは、私立校は、教育者と親との間で教育方針が異なる、その背景とする倫理観を異にする場合には、入学を拒否することが出来ますが、公立校の場合には、生徒数が「満席」状態であること以外に、入学を拒否することは出来ません。
ただし、私立校であっても施設基準、教科の種類と時間数、スタッフの数、安全基準、経営基準、等々の点では、教育監査からの監督を受けます。教科教育の方法、教材、学級構成などの点では、相当な自由がそれぞれの学校に認められています。
1970年代、すなわち、学生紛争後の、ベトナム戦争反戦運動などが花開いた時期に、多くのオールタナティヴスクールが設立されますが、これも、まずもって、上のような、「教育の自由」『私立校の公立校との平等』が法的に確立していたからこそ可能であった、ともいえます。
さて、オランダの学校制度がそのまま日本に適用できるはずはありません。特に、「公私立の平等」を獲得するに至った100年間に及ぶ(キリスト教倫理解釈に関する違いを元にした)私立校側からの「学校闘争」という形は、日本に置き換えて実現させることはまず無理でしょう。社会構成の点で、日本は、非常に画一性が強いからです。
現在、この市民アライアンスの方々が主張される「教育の多様化」論争でも、その中身としては、シュタイナー校やフリースクール、家庭教育などが中心をなしているように見受けられます。
これを全国レベルの「多様性」として広げていくために、もう少し、他の教育方法、例えば、戦前の日本にあった「ダルトン方式」「モンテッソリー」さらに、『イエナプラン』なども活性化する方法はないものでしょうか。「自由学園」の伝統はどうでしょうか。あるいは、種々の宗教的背景を持つ私立校が、もっと積極的に、独自性を打ち出す必要はないでしょうか。そうした動きと連携していく方法はないでしょうか。
それから、社会構成の多様性を期待できる唯一の特徴は、日本の場合、地方性・郷土性であると思います。教育の多様化を勧める際に、地方自治体ごとに、独自の実験的な方法を勧める可能性を開き、互いに切磋琢磨させてみることも必要であると思います。その中で、郷土性を学ばせる、郷土の独自性を学ばせることは重要です。例えば、戦時中にオランダの捕虜を使って炭鉱労働をさせた福岡県水巻町では、オランダの子供たちとの交流や、戦時中の捕虜のことを小学校の子供の劇に仕立てて学ばせるというような実践をしています。そうした活動がもっと各地で行われるべきです。田中正造が活躍した足尾銅山、公害で苦しんだ水俣や四日市、戦時中に本土とは異なる体験をした沖縄、原爆を受けた広島や長崎、そうした地方が、それぞれ、自分の郷土の子供に伝えるべきことを郷土の親として伝える教育、そういう可能性を開くことにも多様性への動きにつながるものがあるはずです。
加えて、「多様性」の実現には、オランダの例から見ても、「教科書検定」の廃止は必要不可欠であり連動的に実現への運動をすべきもの、と思います。
NaokoRichters [LINK] (『オランダ通信』)
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