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小貫大輔さん
Date : 2002.12.04
Number : 003
ML ID : [diversity:0503]
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リヒテルズ直子さんからのメールがあまりに面白いので、本人の了解をえて転送します。彼女にもこのMLに入ってもらえることになりました。**********************************************
シュタイナーに関しては、オランダではヒトモメあったのですよ。オランダでも、シュタイナーは数年前まで頑固に、他の実験こう(モンテッソリー、イエナ、ダルトン、などなど)とも一線を引いて、国からは一切補助金を受けずに、全く父兄の視力と実践的な協力でフリースクール活動を続けていました。ところが、あるときあるシュタイナー校の父兄が、人種差別発言をし、それを聴いていた他の父兄が問題として取り上げ、ルドルフシュタイナー自身の思想における差別性が問題視され議論される結果となりました。その時にルドルフシュタイナーの思想とナチズムとの結びつきがあることまで議論が進み、とうとう、シュタイナー校連盟が、『人種差別』の考えはない、という言い開きをしなくてはならなくなったのです。そのことと、多分関係があると思いますが、それからあまり発たないうちに、シュタイナー校は、他の実験校と同じように、政府の観察を受け、文部省のシラバスに従うことを決めました。もちろん、もうすでに他の論考をお読みのようですからお分かりだと思いますが、オランダでは、日本の学校指導要領にあたるものが非常にゆるやかであるし、教材・教育方法など大変自由で幅があります。ですから、シュタイナー校がオランダの制度下に入るといっても、日本で仮にそういう動きがあるとして考えられるような極端な問題ではないことは明らかです。
もうひとつは、これらの実験校の試みが、常々他の『中立的』で特にはっきりした方法を打ち出していない学校においても相当影響していることです。文部省の指導要領にすらその影響は見られます。例えば、『みんなで学校へ』という数年前の文部省のキャンペーンは、軽度の障害児も特別のクラスや学校でなく、普通児と一緒に学ばせる、というものでしたが、そのそこには、イエナプランの考え方が明らかに反映しています。また、小学校では、今、歴史とか地理とか言うわけ方をせず、ワールド・オリエンテーションというような科目を作っているところが多くなっています。その中で、歴史・地理・環境問題などといったことを総合的に教えます。これも、イエナやシュタイナーの影響ではないか、と思います。さらに、中学後期の新制度として4年程前に導入されたスタディハウスのやり方は、ダルトン校が小学校から実践している
『課題達成』方式と非常に欲にています。個々の子供の発展のスピードに合わせて、教師が、それぞれの子供に対して、一日の課題、一週間の課題、一ヶ月の課題というように課題を与え、自分で計画して、自主的に勉強することを教える、というやり方です。また、小学校ではどこでも一般的なのは、リーディングの時間。この時間には、学年グループではなく、読み方の能力に合わせ、グループを作り、父兄や教師の指導の元にそれぞれの小グループで読み方を学ばせるものです。これは、特に、アルファベットを使う言語の国に多い『読み方困難児』にとっては、とてもありがたい方法です。こう見てくると、実にたくさんの点で、実に多くのやり方があることに驚きます。
日本に関していえば、これは、私の意見に過ぎませんが、校区制を廃止すること、検定制度を廃止すること、指導要領を緩和すること、教員養成において、実験校別の方法を付加的に研修させること、は最低『教育の多様化』のために必要な絶対条件だと思います。今生きている70台前後の人たちの話を聞いてみると、その頃はオランダにも校区制があった、といいます。私くらいの世代の人たちは、いまのような『自由』な教育は受けず、教師の権威ははるかに大きかった、ともいいます。そういう話を聞くと、日本が変革をやらないのは、人々があまりに受身であり、『変える事』『試してみること』に対してあまりにも怠慢であるからだと思わざるを得ません。校区性の廃止は、多くの資金を必要とするものではありません。オランダでは、一箇所にいくつもの小さな学校が集まり隣り合って教育事業をしているからです。体育館を共用するのも普通のやり方です。国は、施設基準を緩め、良い箱を作って、箱の中身は、市民自身の主体性に任せる、というやり方が、長い目で見れば、必ず、次世代の有意義な発達につながる、と信じます。そういう意味では、国の政策としてではなく、基準をゆるやかにして、地方自治体のレベルでいろいろな試みをする自由を許容することもこうかがあるのではないか、と感じます。要は、誰がその事業に手をつけるか、だけです。自分の子供さえ良ければよい、という、日本の政策の枠を外れたところでの教育実践では、良いアイデアは普及していかない、と思います。かつて日本にもあった、綴り方教室、などの試みや林竹二の教育思想など、ただ外国のものを接木するだけではなく、日本の「民主化に関する伝統」をわきまえた日本の内側からの発展方法として参考すべき要素を持っているのではないかと感じています。
リヒテルズ直子さんのHPは以下の通りです。
[LINK]
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