〈教育の多様性〉の会
  〈教育の多様性〉の会・メーリングリストより
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  精神・文化の領域と法律
古山明男さん

Date : 2002.10.03
Number : 006

ML ID : [diversity:0313]
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竹村さん疑問をいただいて、教育と法律の関係の、もっとも重要なところを考えていました。
竹村さん wrote: 教育に理想と現実がある様に、政治・法にも現実と理想があるのです。教育の理想部分や現実部分の表記には共感しますが、政治・法についてのみ現実で非難するのは如何かと思います。市民の幸せを祈ってどれだけの政治家や法律家が苦労してきたでしょう。
 教育に関して、たくさんの政治家や法律家が善意で努力し行動しています。政治や法を全否定するのはおかしいのではないだろうか。政治や法が目指すものも、考えにいれるべきではないのか。
 政治や法を全否定するのはおかしいのではないか。そう考えるのは当然のことと思います。
 精神・文化の領域については、私は、個々の法律の善し悪しではない、そもそも法律でどうこうしようということ自体がなじまないのだ、という主張をもっています。学問・芸術を興隆し、振興させるために、政治と法律はどうしたらいいかという問題です。法律にできるのは、精神の自由、表現の自由を保障することだけです。それが、学芸振興の最善の策なのです。
 教育は、そのような学問・芸術、また広い意味で精神・文化に属するものだ、というのが私の主張です。教育方法、内容において、法律で良くしようとしてはいけないと考えています。
 これは、多くの善意の政治家、法律家と対立するかもしれません。しかし、あまりに重要な事柄であり、政治家や法律家がその善意を生かせるようにするためには、どうしても理解してもらわなければならないことだと考えています。
 学校教育は、文化領域の中では、演劇にもっとも近いと思っています。観客の参加も可能な演劇です。台本もあります。それがカリキュラムです。しかし、台本だけでは劇にならず、創造的な良い俳優が必要です。それが教師です。また、演劇は観客なしには成立しません。それが生徒です。
 政治的な立場から、よい演劇を振興するにはどうしたらよいか。それは、演劇人の表現の自由を保障し、観客が良い悪いを判断する自由を保障し、劇場を設立し、それから入場料を補助することです。
 国立劇場を作ったから、他で上演してはいけないなどと言うのも、変な話しです。テントや掘立て小屋でやろうとする連中もいます。それを、取り締まらないことです。テントや掘立て小屋には、また独特の味わいがあります。
 教育はまた、図書館で一人本を読むことでもあります。教育はまた、友人たちと草野球に興じることでもあります。子どもが接するあらゆることは、教育になっているとも言えます。
 これは教育であって、これは教育ではないという一線を引くのは、とても難しいものです。
 しかし、学問、芸術、文化と教育は、たいへん似ていても、少し違うところがあります。
 教育は、共同生活でもありますから、法律が必要な領域も含んでいます。たとえば、人権保護の問題です。
 教育は、子どもの発達の研究なしには、成り立たないものでもあります。
 教育は、子どもの自由をどこまで制限してよいか、というとてつもない問題もあります。
 もっとも切実なものは、教育は社会的要請をどこまで反映させるべきか、という大問題です。
 社会的要請の強いものの例では、「すべての教育を通じて、すべての国民を忠良なる兵士に育てよう」があります。日本が、一時期そうでした。長続きした例では、ギリシャのスパルタがあります。
 国家が教育に全く関与しない例では、18世紀の西欧諸国があります。家庭と共同体にすべてをまかせてしまって、国は何もしません。現在でも、公立の学校は持っているが、内容に国はノータッチという例もあります。デンマークなどがそうです。
 社会的要請に教育がどこまで応じるかという問題への回答は、実例で見ると、まことに広い範囲に渡っています。
 ということは、それは、これからの我々の選び取るところだということです。
 われわれは、教育に何を求めているのか。さまざまな人が、さまざまな立場からこういう教育をしてほしいという要望を持っています。
 私は、この問題は一律な答えを出すことができないと判断しています。政府、民間を問わず、一部の人の判断だけで、全体を決められては困る問題と思います。
 多様な教育、親の教育選択の自由を実現することによって解決すべきだと考えています。
 親の声が教育に反映するようにしなければならない、という意味では、私の主張は、政治の次元に属します。学校自治を実現すべきだと思っています。これも政治の次元です。
 そのために、法律の変更がいずれは、どうしても必要になるという意味では、法的な次元のことを主張していると思っています。
 最終的には、政治家、法律家の協力を得ないと実現できないことです。
 また、その後も、学問・芸術・教育は、常に政治家、法律家による保護を必要とする領域だと思います。

 
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