〈教育の多様性〉の会
  〈教育の多様性〉の会・メーリングリストより
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  法制度と教育内容
古山明男さん

Date : 2002.5.18
Number : 001

ML ID : [diversity:0065]
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古山です。
佐藤さん wrote:
[diversity:0062]Subject:とりあえずのレス(長文)
ぼくはむしろ、「どうしてそうなのか」という原理を示せるような括り方が大切なんだと考えています。ぼくが出したひとつの結論は、「ひとりひとりが同じ人間であるということに関係するものは法の領域のなかで考えたり実践するとうまくいく」、「ひとりひとりが違う人間であるということに関係するものは精神の領域のなかで考えたり実践するとうまくいく」、「ひとりひとりの人間がお互いを必要としているということに関係するものは経済の領域のなかで考えたり実践するとうまくいく」、というものです。

「どうしてそうなのか」と考えていくこと、すばらしいと思いました。じーんと来ました。
多様性の問題ですが、定者さんと柳沼さんを中心とした討議を、これも感動しながら読んでいました。
私は、法制度と教育内容を分けて考えるようにしています。私の目標は教育の自律性です。次のようなものをあるべき姿だと思っています。
1 教育は自律性が重要である。法律は、教育の自律性を保障するだけにとどめて、教育の具体的な目的と内容に関与すべきではない。
2 基本的人権の枠を広げて、子どもに特有の基本的人権を確立すべきである。
「子どもの権利条約」は大きな前進だが、「子どもの最善利益」を、もっと具体的なものにしていく必要がある。
 子どもに特有の基本的人権を守ることは、教育だけに限ったことではない。教育も含んで広く適用される法律を通じてやる。
3 子どもを尊重した教育を、新しい文化として作り出す。これは、文化運動として行う。教育の内容においては、法律の力を借りない。
 教育の方法と内容は、役人か学者が「これをやりなさい。これをしてはいけません」とあらかじめ決めてしまうようではいけない。
 現場で、実際の子どもを相手にする中で常に生まれてくるものです。
 どんな片隅の、どんな小さなことでも、どんなに制約された中ですることでも偉大な意味を持っています。つねに、実績が先行して、それに合わせて制度が後追いするのを許すような、柔軟な仕組みを創ることが大事だと思っています。
 日本の教育制度について、どのような教育がいいか、百家争鳴状態ができることを願っています。現実に、そういう状態が始まりかけていると思います。
 国としても
「これを、一つにまとめるなど無理だ。勝手にやっている連中を取り締まるのも不可能だ。それぞれの自己責任でやってください。金は出します。口は出しません」となることを願っています。
 もしも、いま、教育が自由化されたら、学力主義が大勢となるでしょう。私はそれでいいと思います。私は学力主義に反対ですが、学力主義の人が自分の方針でやる自由は、絶対に守りたいです。戦前の教育を復活したいという人も、やればいいです。
 子どもの基本的人権からだけは、縛りをかけておくべきです。
 国家権力が教育内容から手を離してくれさえすれば、いろんな理念が独自の輝きを放ちはじめ、真剣な模索が始まると思います。
 とりあえず、「日本の現在の法と制度はどのように成り立っているのか。なぜどのようにそれが出来上がってきたのか」を知らないことには、話にならないと思って、ここ2年ほど、教育制度史の研究をしてきました。
 先日、発表したものは、その一部です。

 
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