〈教育の多様性〉の会
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  司法と教育の独立
古山明男さん

Date : 2002.09.22
Number : 009

ML ID : [diversity:0257]
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古山です。
 教育基本法の研究をしています。硬い本に読み疲れて、ちょっと、おしゃべりがしたくなりました。
 田中耕太郎という人がいます。
 第一次吉田内閣の文部大臣に就任。憲法の教育条項制定と、教育基本法制定に深くかかわっています。とくに、教育基本法は、田中耕太郎が提唱、推進したからできたようなものです。
 この人の、「新憲法と文化」という1948年に出された本を見つけました。憲法施行の翌年です。新憲法の造られた基盤を解説しているものです。田中耕太郎という人は、自然法の立場に立ち、その法律が出来た根元はどこにあるのか、法律がどこまで社会に関与すべきであるか、という問題をつきつめている人です。
 これを読んで、びっくりしました。こんなに深く考えていたのかと。教育は、文化領域にあるもので国家起源ではない。国家との関わりはあるが、国家管理されるべきではない。教育と司法はよく似ている。どちらも、立法・行政とは別な権限として独立させよ、という論です。
 じっさいは、複雑な政治状況のために、田中文相は、教育権の独立をやりきることはできなかったのですが、その思想は教育基本法に大きく反映しています。
 実は、日本の教育の基本法制(憲法と教育基本法)は、教育の自律性を保つために作られているのです。(いろんな面は持っていますが)
 その後、日本の教育制度はとんでもない方向に行ってしまいました。国家によって、官僚統制の砂漠に連れて行かれ、産業社会の訓練所に利用されてしまったのだ思いました。
「新憲法と文化」(田中耕太郎著)から引用します。
 ....教育と政治との関係は司法と政治の関係に酷似している。司法は正義を社会生活に実現し、又社会的秩序を確立維持し、政治生活を可能ならしめる基礎条件を提供する。教育は司法の機能が寧ろ消極的なると異なって、かくあるべき人間を育成するという一層高遠な、積極的使命を遂行するものであるが、政治生活に基礎を与える点においては司法と趣を同じうしている。
 教育は人間の育成という永遠の課題を追行するものである。
 かくのごとく、司法権の独立が近代国家の要請であるごとく、教育権の独立(これについては後に詳述する)も一つの政治原則として確認せられなければならない。又正義の実現と秩序の維持を目的とする司法権が政治よりの独立を主張するにとどまるに反して、教育はその積極的使命に鑑みて、単に独立性を主張するにとどまらず、政治に対する優位 ── 教育優先の原則 ── を主張するのである。
 本来教育もまた宗教や芸術、科学等と同様に文化現象であり、従ってその発達は個人の創意にまつべく、国家的性質のものでなく、その自主性が認められなければならぬことは他の機会において述べたところである。学校教育もしかりとする。それは理論上家庭教育の延長であるとともに、内外の事例に徴すれば、それは国家的起源のものでなく、一私人や教会その他の団体によって経営せられてきたものである。....
 国立公立の学校といえども、自己の伝統と校風とを有すべき点において私学的であらねばならない。しかるにそれ等の成立が一般に国家の創意にのみ由来するものであったから、各学校は個性を有せず極端に画一化されていた。のみならずこの画一化の傾向は私立学校をも支配し、それは官公立のものを模倣する傾向にあった。
 将来は国立公立の学校といえども私立のよき特色をもたなければいけない。けだし、学校の本質は私学的性格に見出されるからである。かような意味において私学は私学としての矜持を有しなければならず、また国家社会はいっそう私学を尊重し、その振興を計らなければならない。

 
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