〈教育の多様性〉の会
  〈教育の多様性〉の会・メーリングリストより
■索引  ■前へ  ■次へ 
  教育基本法第10条 歴史的経過
古山明男さん

Date : 2002.07.19
Number : 017

ML ID : [diversity:0165]
■Mailing List
「教育の多様性の会」は、市民が教育を創る自由と選ぶ自由を目指しています。「教育の多様性の会」のメーリングリストはこちら。
■Alliance for Childhood
子どもが、子どもにふさわしい生活や遊び、学びの環境を保障される社会づくりと取り組む「子ども時代のためのアライアンス」はこちら。
 
古山です。
教育基本法第10条が、成立したときの意味に関して。教育基本法の制定には、田中耕太郎という文部大臣が大きくかかわっています。この人は、もともと商法が専門の東大教授で、国際法がどのようにできていったかなどの研究をしていた。敗戦後の文教政策立て直しのために乞われて文部省教育局長に就任。アメリカ教育使節団の勧告が出されてから、日本の六三制義務教育ができるまでの重要な時期に、文部大臣を務めています。教育基本法制定には、この人が大きく関与しています。昭和22年2月に、吉田茂首相によって突然解任される。後、最高裁判所長官。以下、「教育のあゆみ」読売新聞社刊 からの引用です。文中のCIEとあるのは、アメリカ軍政の教育担当部局です。***************************************
 田中文相は常々「大学を出て数年しかたっていない若い内務官僚が、各県の学務課長や内務部長なんかになっていばっているのはおかしい。小学校や中学校の校長という先輩の教育専門家を見下して、訓示したりしているのはもってのほかだ」と漏らしていた。この感慨は「私の本来の考え方は、文部行政は教育に関し、識見と体験とを持つ教育者によって運営すべきであり、純然たる行政官に任すべきものでないということにあった。抱負の主なものは、軍国主義的、極端な国家主義的教育理念の払拭のほかに、教育権の独立、すなわち中央と地方の教育の官僚統制からの解放、弊害のあった師範教育の根本的改革及び教育者の待遇の改善であった」(『私の履歴書』日本経済新聞社刊)との見解につながる。
 教育基本法第一〇条(教育行政)は、田中文相のそうした信念のあらわれであり、成文化に当たってはとくに力を入れた。
「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない」
 民主主義国家における教育と国民の関係を規定した一項のくだりには「教育は一般行政のように官僚機構を通じて、間接的に責任を負うのでは不十分である」と、教育分野の官僚統制を嫌った”学者文相”の面目があふれている。
 二項は、教育行政の任務と限界を定めた重要な規定であり、戦前の視学のような形での教育への介入を戒めている。さらに、教師と子供が、より良い環境で教え、学ぶための条件整傭を促している。「教育行政」の条項については第一特別委では、初め
「教育行政は、学間の自由と教育の自主性とを尊重し、教育の目的遂行に必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない」と結論づけた。ところがCIEから「教育の自主性」という表現について注文がついた。
 文部省審議室で教育基本法の立案を担当していた安達氏は「教育の自主性は、英訳では Autonomy of Education となっていた。これは教育者の独断、あるいは独裁という観念と誤って受け取られる恐れがある。民主主義の教育は、国民と直結したものでなければならないとCIEに強く言われて、この言葉は除かれた」と回想している。
 もっとも、教育の民衆統制、地方分権を目的とした教育委員会法が刷新委員会第3特別委で審議中で、この法案が成立すれば「教育の自主性」は十分守れると考えられた。だが、同法は中央集権に固執する内務官僚や莫大な教育費の捻出方法を危ぶむ大蔵官僚の反対、さらにGHQ内部の対立もあって成立は大幅に遅れるので、章を改めて書く。***************************************
(引用終)

 
■索引  ■前へ  ■次へ