〈教育の多様性〉の会
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  Re: 戦争直前のこと
古山明男さん

Date : 2002.6.27
Number : 007

ML ID : [diversity:0100]
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小貫さん wrote:
Subject: [diversity:0097] 戦争直前のこと
古山さん、先日の集まりで、日本の教育が政府の管制下に置かれるようになったのは第二次大戦の始まる直前だったと言われましたね。それは何年のことでしたか。もう一度教えてください。お願いします。

 昭和16(1941)年4月に、それまでの小学校が、「国民学校」と名称を変えました。皇国の道にのっとって国民の基礎的錬成をはかることを主眼としました。教科の統合、教科書の改正をしています。ドイツのフォルクスシューレを真似たものです。
 初等教育での国家主義教育を強めたものです。
 国民学校の設置は、昭和12年設置の教育審議会の答申によります。
 政府の管制ということでは、もともと、すべての小学校が、中央集権的に管理されていました。「国民学校」と名称を変えても、変化は教科面で大きく、管理面では、あまり変化はありません。政府の意向で、学校はいかようにも運営できるしくみになっていました。
 昭和になってから、視学制度が、学校に対して猛威を振るっていました。視学官は、教育に関しては素人ですが、学校を視察してまわり、教員をチェックしていました。視学は学校に対する絶大な権限を持ち、人事権まで持っていました。
 もう一つは、各県の学務課の権限が非常に強かったです。学務課長は、内務省からやってくる若いキャリヤー官僚で、教育には素人。この学務課長の前に、年輩の校長たちもはいつくばるしかありませんでした。
 当時、地方自治はありませんでした。県知事は、中央から任命されて赴任してきます。首長選挙も、地方議会選挙もありませんでした。
 小貫さんがおっしゃった、「日本の教育改革で、ここ3年くらいが、重要な時期」ということ、まったく同感です。方向性が定まってくる時期だと思います。
 とりあえず、現在の教育制度がどのようにできたかの、あらましのレポートをと考えて、とりかかりましたが、進みが悪くてすみません。
 いま、シュタイナー算数の研究に時間をとられています。
 学校を無視して、家庭で教育を行っている人たちのために、家庭でできる算数の教材を開発しています。水道方式と、シュタイナー算数から、いろいろヒントを得ています。

 
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