〈教育の多様性〉の会
  〈教育の多様性〉の会・メーリングリストより
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  戦後日本 私学の自由が失われた日
古山明男さん

Date : 2002.6.16
Number : 001

ML ID : [diversity:0089]
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古山です。
 15日のミーティングに、遅れて出席し、みなさんの、お顔だけでも拝見した次第です。
 教育の多様化に関心を持つ方が多かったです。私が日本の教育制度史で調べたことを、少しずつでも、紹介しようと思っています。
 戦後日本の教育制度改革に大きく関わった人物として、ゴードン・T・ボウルズというアメリカ人がいます。
 日本で生まれ、ハイスクール時代まで日本で育った。1920年代の中頃2年間、第一高等学校で英語を教えた。日本語は日本人以上。ハーバード大学で文化人類学を教えていたが、戦時中に対日占領政策の立案に携わるようになります。
 ボウルズは、日本を占領した軍政下の教育政策立案にたずさわり、「降伏後の日本帝国の軍政・軍国主義を廃止し、そして民主主義的進行を強化する諸方策・教育制度」を執筆します。その中にD私立学校の拡大と政府統制の地方分権化
 私立教育機関の数は、継続的に増加されるべきであり、政府統制は、縮小されるべきであり、また、おそらく地方分権化されるべきである。軍政は、広範な多様性をもった私立教育機関を奨励するよう努力すべきである。その私立教育機関の目標は、新しい教育方法、教材の実験を行い、そして、自由主義的そして国際的な精神をもった指導者を生み出す教育を促進することである。という部分があります。つまり、多様な私立教育機関が、多様な教育を生み出すことを想定しています。
 ボウルズはその後、日本に教育使節団の一員としてやってきます。ボウルズは、実質的には、この使節団の団長格です。ボウルズは、使節団報告書すべてに目を通しチェック。さらに二ヶ月日本に滞在し報告書の具体的実施に関してCIE教育課に助言。
 使節団報告書は、私学振興を勧告します。(詳しいことは、資料が手元にありません。また報告します。もう、図書館がしまってしまいました)
 ところが、学校教育法(1947)は、私学に対して、大きな足かせをはめてしまいました。1 学校の設立者を、国、地方公共団体、学校法人に限定して、私人による自由な設立を困難なものにした。(第1条)2 私学も、学校教育法の傘の下に入れた。学校教育法は、教育の目的と教科まで定めているため、私学のカリキュラムも文部大臣の管轄下に入った。検定教科書の使用を決められた。(20条、21条)3 私立学校法(1949)は、設立や管理に関したことを定めるのみで、教育法と教科の自由に言及しない。
 これでは、私学の意味がなくなるではないか、という議論がなぜ巻き起こらなかったのか不思議に思っています。
 学校教育法は、1947年2月に大慌てで作成し、4月からの六・三制施行にかろうじて間に合わせたものです。ドサクサにまぎれて、文部官僚(のちに、タカ派で知られる内藤誉三郎)のほぼ原案通りに、通ってしまいました。この学校教育法の成立によって、日本の私学はカリキュラムの自由を失いました。別な教育法の探求は、法の目を盗んで、草の根的に細々となされることになります。

 
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