〈教育の多様性〉の会
  松下村塾 教育の原点を問う
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  ■参考資料■ <松下村塾の歴史>
荒井英治郎さん

Date : 2003.04.21
Number : 025

ML ID :
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(資料は『山口県教育松陰特集号』・『吉田松陰の思想と生涯』(玖村敏雄))主に4つの時期に分けられると言われている。

■第1の時期■
松陰が少年時代に、叔父の玉木文之進が青年を家に集めて教育。この時に、「松下村塾」を名乗る。
意味・・「萩の松本村(まつもとむら)にあり、これを支那風に表現すると、松の下、松下(まつもと)になり、音で読むと、松下(しょうか)となる。つまり、松本村にある塾というわけである。」 玖村敏雄
■第2の時期■
玉木文之進が公務多忙のために、やめた後に、外叔父の久保五郎左衛門が経営していた寺子屋に松下村塾の名称を移す。
■第3の時期での成立過程■
【安政ニ年】
●12月15日松陰が許されて、野山獄から杉家へ帰る。この日から、松陰は家囚(家での蟄居)として、三畳の部屋で寝起きすることになる。
●12月16日 家でくつろぐ。
●12月17日 晩に、父と外叔父、兄が集まって、松陰の講義を聞く。なお、日を決めて、父と共に、『経済要録』・『新論』・『弘道館記述義』・『柳氏新論』を、兄とは、『日本外史』・『宋名臣言行録』・『下学邇言』を読む。
【安政三年】
●6月12日講義が終了する。この講義をまとめたものが『講孟余話』。
●8月私塾としての体裁が整う。これが、松下村塾の始まりと言われている。
●9月 久保五郎左衛門に頼まれて、『松下村塾の記』という文章を書く。
●同秋頃、松下村塾は松陰のものとなる。 家族以外の者が入門を開始。
【安政五年】
●7月 藩によって松陰の教育が許可される。
●11月 藩によって松下村塾における松陰の教育が禁じられる。
■第4の時期■
一時期閉鎖されるが、久坂玄瑞・玉木文之進・兄によって継続される。
●明治25五年 久坂玄瑞・玉木文之進・兄によって続けられた松下村塾も終わりを告げる。 現在は、吉田松陰ゆかりの地(松陰神社)に資料として公開されている。

■参考文献■
「吉田松陰」 徳富 蘇峰 岩波書店 1981年
「吉田松陰 明治維新の精神的起源」ハインリッヒ・デュモリン 南窓社 1988年
「松下村塾」 古川薫 新潮選書 1995年
「吉田松陰 松下村塾の指導者」 福川 祐司 講談社 1996

 
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