〈教育の多様性〉の会
  松下村塾 教育の原点を問う
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  4.松下村塾 (7)友情
荒井英治郎さん

Date : 2003.04.21
Number : 019

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松下村塾は身分と年齢、またすでに藩校や私塾でかなりの学識を見につけた者、水準以下のものなど実にさまざまで、雑多な寄り合いである。これが1つ屋根の下で机を並べて学習活動するについてはまず「身分の問題」がある。
同じ藩士でも寄組・大組士・無給通の身分差、それも禄高によって上下関係が有り、家臣が私的に雇った陪臣(又家来と蔑まれ、藩士ではなかった)、そうした武家機構の最下層に足軽・中間がいる、医師でも藩医と町医者の格差、さらに農工商の順序で庶民が裾野をつくっている。封建社会の秩序を保つ人間の序列は厳然たるものだ。細い道の向こうから藩士が歩いてくると、足軽・中間をはじめ庶民は道の脇に避けて低頭し、相手が行き過ぎつのを待たなければならないというご時世である。
松陰はそうした身分差を一切無視した。学問をする上に、身分意識など余計なものだとし、「人間は平等である」という松陰の信念は、身分のへだてなく人に接触する現実の行動で理解させた。封建社会の人間関係はすべて縦につながっていた。松下村塾では、塾生の身分、年齢の別にこだわらず横に並べ替えた。松陰は塾生を「諸生」といい、「諸友」と呼んだ。階層を無視した封建社会では希有な友情と連帯感が醸成された。のち松下村塾の同窓生たちは、志士として危険な討幕運動に身命を投じたが、「松下村塾党」と呼ばれた彼等の固い結束の根底には、村塾時代に育んだ友情が働いていたに違いない。

 
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