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3.教育者松蔭 (3)教育の目標と理想―『相労役』―
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荒井英治郎さん
Date : 2003.04.21
Number : 011
ML ID :
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松下村塾には5カ条の規則が定められていた。
一.両親の命ずるところには必ず従ひ、決して背かぬこと。
一.外出する時と帰宅した時は、必ずその旨、両院に告げること。
一.朝、起きたならば、まず顔を洗ひ髪を整へ、それから先祖に礼拝し、萩城に向かって礼拝し、そして東に向き直って 天朝(御所)を遥拝すること。このことはたとえ病気となって床に臥すことになっても怠ってはならない。
一.にたいしては勿論のこと、年長者や、地位の高い人に対しては、必ず従ひ、必ず敬って、礼を失せぬこと。また弟に対しては言うまでもなく品位の卑しい人や年の少ない人にたいしても、愛情をもって接すること。
一.塾にあっては総ての点において応対と進退とに心をこめ、礼儀正しく行ふこと。
右第一条から第五条まで、どの条に対しても違背があってはならない。もし背いた場合、第一条を破った際の罰は、必ず坐禅とす。他の四条を破った場合のことについては、その軽重に応じて、別に罰を定めるものとす。
この規則は久保塾時代のもので、松陰の松下村塾となってからこのようなものが塾生に示されたことはなかった。安政5年6月、松陰は『諸生に示す』の一文を書いている。
「村塾が礼儀作用を簡略し、規則もやかましくいわなかったのは、そんな形式的なものよりもっと誠朴忠実な人間関係を作り出したかったからだ。新塾が初めて設けられていらい、諸君はこの方針に従がって相交わり、病気の者がいれば互いに助け合い、力仕事が必要なときは、みんなが力を合わせて家族同様に協力した、塾を増築したとき。大工の手を借りずにそれを完成させたのもそのあらわれである・・・」
畠仕事や米つきなども松下村塾の行事の一つで、松陰としてはこれらも重要な教育活動である。杉家の庭内には、広い畠があり、春や夏になると松陰はよく草むしりをした。一緒に作業すると除草しながら読書の方法や歴史の話をしてもらえるので、塾生にとってはそれも楽しみだった。
塾生たちとそうした作業にあたることを、松陰は「相労役」といった。幼少のこと、野良仕事しながら父や叔父から素読を教えられた経験は、ここにも活かされている。共に労働の汗を流すとき、人の心がもっともよく通いあうのだと松陰は信じていた。
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