〈教育の多様性〉の会
  松下村塾 教育の原点を問う
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  2.吉田松蔭の思想と精神 (3)儒教と歴史学
荒井英治郎さん

Date : 2003.04.21
Number : 007

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江戸時代、学問をするということは、主として、中国の、特に孔子や孟子といった大家の名著を呼んで、解釈することを意味した。教える者としても学ぶ者としても、松蔭は多くの時間と努力を「儒学」に向けたのである。生家にあることから、既に松蔭は、漢文によく習熟していた。松蔭の師である玉木文之進と佐久間象山も、「儒学」に精通したその道の専門家であって、松蔭を真剣に励まし、熱心に研究させた。また、旅にいても、獄においても、松蔭の座右には、漢籍が見受けられたのである。そして、松下村塾においても中国の最も重要な古典や名著が絶えず説かれた。
しかし、松蔭は、厳密に言えば、「儒学者」であるとは言えないようだ。確かに、師の佐久間象山は朱子学に属した。しかし松蔭自身としては、どの学派の一員でもある必要は無かったといってよいだろう。いかなる儒学よりも、日本歴史の方が松蔭にとっては遥かに重要だったのである。そのように思想的には水戸学に近いのである。実際、短期間の水戸遊学が、松蔭に歴史研究への永続的な衝撃を与えたのである。
松蔭は、あらゆる学問意、偏見なく態度をとったのである。幕府に仕えた新井白石、室鳩巣、荻生徂徠の学者にでさえ、大いに価値あるものがあれば、松蔭はそれを活用しようとする。しかし、彼の心は「尊皇」を核心とする学問にあった。

「学問の筋道を正すことが誠に肝要であって、朱子学を学ぶべきだとか陽明学を学ぶべきだとか言って、通り一遍の事に偏っていたのでは、何の役にもたたない。尊皇攘夷の4字を眼目として、誰の書であれ、誰の学問であれ、その長ずるところを取り入れるようにすべきである」

 
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