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2.吉田松蔭の思想と精神 (2)地理学、兵学、洋学
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荒井英治郎さん
Date : 2003.04.21
Number : 006
ML ID :
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松蔭にとって、これらの「地理学」「兵学」「洋学」の三者が相互に密接に結び合っていたようである。地理に関する正確な知識は、国土防衛上不可欠の条件であり、国土防衛は兵制の近代化と兵力の強化によってのみ、効果的に実行され得る。しかも、近代の戦法は、その大部分をヨーロッパから学んで導入されねばならないのである。
もちろん、松蔭は日本の流儀と独自性を主張する。しかし、それでも、多くの同時代の志士たちとは違って、西洋文化に対する極端な敵対者では決してなかったのである。長崎のオランダ人を通じて日本に伝えられているヨーロッパの学問、すなわち蘭学を、一部とはいえ、彼は熱心に自ら学んでいたほどである。アメリカの艦隊が姿を表したとき、それを目の当たりにした松陰には、軍事的優位は一目瞭然であった。そのとき以来、松蔭には、ヨーロッパの兵制を研究するという気持ちに切なるものがあった。安政2年(1855年)の手紙において、松蔭は当時の主だった兵学者を、再び3つの流派に大別している。
まず第一に、日本古来の甲越諸家の兵学を論ずる「和兵家」、これは学問的なところがないらしい。次に、中国の明清諸家を基本としてヨーロッパの訳書をも幾つか採り入れられたところの「書生兵家」、これは半知半解であるのようである。そして、最後に「西洋兵学」を挙げている。
松蔭がたびたび困難な旅を敢行したことは有名であるが、この旅こそ兵学と国土防衛に直接役立つものであった。殊に海岸線や港が調査され、海深が測られたのも、この島国を、外国の艦隊の攻撃から守ることができるようにするためであった。彼は日本国中を旅しながら、長い間歩き回っているうちに、日本の民族性と本質に対する松蔭の理解も深まっていったのである。獄中の病身の金子重之助に人と地の関係に関して松蔭の語った言葉が残っている。
「地を離れて人なく、人を離れて事なし、故に人事を論ぜんと欲せば、先ず地理を観よ。」
(地を離れて人が存在するということは無く、優れた人なしに事が成し遂げられるということも、またない。故になすべき事を論じようと思うならば、まず地理を観よ。)
日本の政治的発展に関して松蔭の立てた計画には、今日的な意義さえある。いやそれどことか、その中にはまさに予言的なものすらある。日本の政治の進路がいかに伝統から逸脱せず、いかに一直線に今日まで続いているか、そのことがまさに松蔭によって示されているといった方がよいかもしれない。松蔭は、日本の大陸政策の目標を、くりかえし明確に表現し、その実現に努めたのであった。
松蔭にとって問題であったことは、強大な日本の基盤を創造し、確実にすることであった。その基盤とは即ち、「強力な軍事力」と、「民族の内的な統一」である。彼は兵制制度の必要性を繰り返し強調した。松蔭にあっては、民族の内的統一ということと有効な国防ということとは実に分かちがたく結びついているものであったのである。この二つの概念は、彼の書くもののなかにいつも同時に出て来る。「地理学」、「兵学」、そして「洋学」は、一方では日本の理想の、また一方では日本の願望の発露している道なのであった。
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