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荒井英治郎さん
Date : 2003.04.21
Number : 005
ML ID :
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(1)日本と天皇
尊皇。松蔭の生涯は、二つの思想の糸によって織りなされている。1つは、日本という思想である。この国の国民的統一と偉大さは、天皇に具現されており、そのことが時代のスローガンとなって尊皇攘夷(天皇を尊び外国を打ち攘ぶべし)と表現されたのである。国家の独立と民族の独自性の維持、要するに「国民的日本」という理念は、分かち難く天皇制と結びついている。天皇の坐すところ、そこに日本があるというものである。国民的に統一され、強力で偉大なる日本とは、その生きた中心を天皇の中に有さねばならない。北畠親房は「吾が日本は神国なり」という総ての時代に妥当する古典的な表現を『神皇正統記』の中で語っているが、日本という国がそのような宗教的な性質の尊厳と神聖さを天皇から受けているというのである。そして、天皇において、日本民族は有機的な国家家族にまとまっているのである。この家族的特質が、松蔭のもう1つの根本思想であった。日本的な国家とは、要するに日本語の「国家」(国の家)という言葉に端的に表現されているように、有機的に完全に統一された国家のことである。
この二つの思想が、家庭から松蔭へと継承されていった財産であった。杉家の尊皇の伝統については、すでに述べたが、養家の吉田家で巡り巡った山鹿素行の教えも、思想的には北畠親房に発するところの「尊皇の伝統」のあの系譜上にあったといえる。なお、松蔭が臣として仕えた毛利家も、数世紀を通じて涙ぐましいほど献身的に皇室に仕えたことで有名である。
「神聖なる日本」という思想は松蔭の書簡のなかに常に現れ出てくる思想である。そして同時に松蔭の最も深い宗教的確信ともなっている思想である。日本は神々の国であるから、それゆえに神々を畏敬しなくてはならない。誠の心、すなわち純粋の愛を以って神々を敬うことを美徳であると考えていたのである。
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