〈教育の多様性〉の会
  松下村塾 教育の原点を問う
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  1.松蔭の生涯 (1)松陰を取り巻く人々
荒井英治郎さん

Date : 2003.04.21
Number : 002

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松蔭は、毛利藩の家臣 杉合之助の次男として、1830年(天保元年)8月4日、萩に生まれる。杉家は小さな農地を持つ下級武士の階級に属し、一家には、真の武士の精神と古い神道の伝統が生きていた。代々この杉家に伝わっているものこそ、「毛利家に対する忠誠」と「皇室敬慕の念」だったのである。
次に松蔭の心のふるさとを挙げるとすれば、いまだ幼少にして養子となった叔父の吉田大助の吉田家に見出すことができる。吉田家にあっても「勤皇」の精神は支配しており、それに加えて「儒学」と「兵学」が奨励されていた。松蔭が中国の古典の章句を多く読んでいたのも、基本的には古典の知識を吉田家で教わったおかげである。しかも、吉田家の実学は、山鹿素行(1622-1685)の兵学である。素行は、江戸時代の代表的な儒学者の一人であり、士道を集大成し、そしてまた独特のいわゆる「山鹿流」といわれる兵学をも創始した人である。松蔭は素行を「先師」と呼び、素行の著作を意識的に取り上げて継承していくのである。
また、若き松蔭の成長にとって重要であった人物は、叔父の玉木文之進の影響である。文之進は、崇高な倫理的理想に燃えた、教育者としての個性の強い人物で、のちには乃木将軍の師ともなっている。その文之進は、萩の私塾松下村塾において、特に「儒学」と「兵学」を講じていた。

 
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