〈教育の多様性〉の会
  松下村塾 教育の原点を問う
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  0.はじめに
荒井英治郎さん

Date : 2003.04.21
Number : 001

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偉大な教育者は生まれてくるものである。そこに存在しているだけで光を放つ力。相手を魅了し、信奉者にしてしまうほど、人の心を捉えて離さぬ力。思うまま自己形成を行っていく青年に、直接感化を及ぼすほどの影響力。その言葉と態度を、自己の規範たらしめ、主義たらしめるような言行の魅力。偉大なる教育者としての神のごとき才能。これはいずれも人為的に作られるものでもなければ、また模倣されえるものでもない。吉田松陰は偉大なる教育者にして生まれながらの教育者であった。松陰をして教育者たらしめているものは彼の人格なのである。人格というものは、中世の哲学がいうように、筆舌に尽くしがたいものであり、しかも成果に最も早く認識しえるものである。そのところに松陰の教育者としての活動の歴史のもっとも輝かしい証言が存在していると思われる。
松陰はなんと言っても教育者として優れていたといえる。故に松陰の影響力は門下生の偉大さから理解することができる。小さな家の八畳一間の松下村塾から、明治の改革を指導した人物の、約半数が輩出している。つまり、松下村塾は、「明治維新の思想的母胎」となったのである。
まず、第一に挙げられるのは、明治政府の中心人物として新しい日本の帝国憲法を起草もし、首相になった「伊藤博文」。次に、「木戸孝允」と、「前原一誠」、両者共に内閣制度の始まる前の明治初期の明治天皇の政府にあって、最高の参議だった。そのほかにも、明治後期に首相になった「山県有朋」、明治の内閣にあって大臣を歴任する「野村靖史」、「山田顕義」といった数多くの人物が挙げられる。
ここでは、「吉田松陰」と私塾「松下村塾」に焦点を当て、当時の雰囲気を醸し出そうと試みる次第である。

 
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