〈教育の多様性〉の会
  小貫大輔 vs 古山明男 教育の多様性対談
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  日本の中に「個人」が生まれる
古山・小貫さん

Date : 2002.12.19
Number : 023

ML ID :
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古山: ぼくはそこらへんのところに具体的なイメージは持っていないけれど、よく言うのは、したいことしましょう。ばらばらに言いたいこと言いましょう。政治っていうのは個人の一番美しいものが制度を求めてくる、そういう部分なんですってね。実はみんな怖くてうそついて生きているわけですよ。実はみんないいもん持っている、きれいなものをもっている。それが10%でいいから流れ出してくれたら、そこはね、作為の部分じゃなくてね、なんか、それが動きだすと不思議なことが起こりだすっていうことなんですよ。10%だったら、それぞれの人に求められるんじゃないか。自分が一番美しいと思う部分で社会生活にもう10%関わってくれると、そうすると自然にうまくいくんじゃないかな思っているんですけどね。

小貫: そう。私は昨日感じたのは、これから、本当に、「私」っていうものがね、日本人の中に、ひとりひとりの中に生まれていく。今まで日本っていうのは、典型的に「私」というものがもてない民族だったわけですよね。それが、昨日みたいなある日を境にして、「私」が生まれ始めるんじゃないでしょうか。今から400年経ったときにはね、「私」というものをしっかり持った民族として知られるようになる。「日本人みたいに『私』のしっかりした民族でも、実は400年前には全く『私』というものがない民族だったらしいですよ」って言われるようなね、そういうことが始まろうとしているんじゃないでしょうか。
 文化なんてね、ある時、急に変わるんじゃないかと思うんですよね。日本人に「私」という個が生まれる。それは巨大な文化運動です。

古山: それとね、個人だけが光を担えるんです、ということなんです。いままで、集団に光を見出そうというタイプのは、みんな行き詰まっちゃってるでしょう。独裁になるか、ドグマ信仰になる。個人だけが、インスピレーション持てるしね、個人だけが良心を持てる。人間の一番クリエイティブな部分を担えるのは個人だけなんですよね。だからいかに日本人に個人であることを許してあげるか、なおかつ孤独にならないように、いろいろ工夫していく、そしたら後は自然にうまくいくんじゃないかな。

小貫: それはシュタイナーの考え方でもあるけど、「私」というものだけが唯一、霊的な世界、全宇宙につながっているのであって、「私」を通じてこの世と神さまの国との間に穴があけば、いくらでも泉のように、無限にクリエイティブなものが湧いてくるっていうイメージですよね。個というものだけが、唯一、その無限の泉につながっているんですよね。
 今の日本の教育は、それを許さない。泉に蓋をしておいて、既にある水を循環させているだけじゃないですか。何も新しいものは出てこないわけですよ。だって日本の教育は、既に人類がどこかで発見してわかっていることを覚えることが教育みたいになっているから。まだないものを生み出すことは、教育の目的にはそぐわないみたいになっちゃっているわけじゃないですか。教育っていうのは、なんか日本の場合、定義上、既にあるものを学ぶことである、っていうようになっちゃってるんですよね。自分で発想するんだったら、それは教育じゃないじゃないか、っていうようなね。
 今までは存在していなかったものを生み出すことを創造といいます。そういう力を生むためには、「私」っていうものを育てることが、人間をつくることが教育でなければいけない。人格の完成という表現がされるのか、生きる力という表現がされるのか。だって、人間はさまざまなところでつまづき、さまざまなところで道を踏み外し、さまざまなところで弱くなるから、そういうところまで辿り着けるためには、自らの中に泉が生まれていなければいけない。それが、教育の目的です。

古山: これでたどりつくべきところにたどりつきましたね。その泉なんです。

小貫: 今日は本当にどうもありがとうございました。

(拍手)

 
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