〈教育の多様性〉の会
  小貫大輔 vs 古山明男 教育の多様性対談
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  転機は75年頃
古山・小貫さん

Date : 2002.12.19
Number : 016

ML ID :
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小貫: 日本人という民族が判断のできる民族にならなければいけない。自分たちの得意なことは得意なこととして維持するべきだけど、今まで不得手だったことを身につける時期が来ている。そのことが明確になったのは、戦後復興を終えた頃、ぼくは1975年と思ってるんですけど、そのときに手をつけるべきだった。

古山: ぼくも、70年代だと思ってました。学生騒乱が何かをつきつけた。その答えを出す時期です。

小貫: 奇しくも私は1975年に15歳で、生徒会でカラーシャツ運動を起こして敗北した年です。そのまま誰もこの課題に手をつけないできて、うちの娘が25年後に中学3年生になってみたら、何も変わらず同じことが続いていた。それを見せつけられて、私は愕然とした。

古山: 日本の教育は、中教審でしか舵取りできない仕組みになっている。あそこは何をしていたのかな、と、おおざっぱにあたってみたんです。大体何がいいたいのかなと。そうしたら、非常に重要な答申を何回か出しているんですね。とくに、70年前後に何回かにわたってバラバラと出されたやつが、重要だった。
 これは、題名だけ見たらなるほどと思います。章の見出しなんだけど、「今後の社会における学校の役割」。そうだよ、まさにそれなんだよ。こういうふうに高度成長で成長したんだから、戦後をやめようと言ってるんですよ。考えなきゃいけないと。実に正しく捉えている。

小貫: 中教審で出てくる言葉はみんなすごく立派な言葉ですよね。これをひとりの教育学者が言っていたら、その人は偉大な教育学者として位置づけられてもいいくらい。

古山: そこまではいいんだ。そこから先何をやったかというと、高校の科目を何にしましょうとか、なになに高校をつくりましょうとか、カリキュラムをちょっといじったりとか、実技をどうしましょうかと。根本的なことは何もされないんですね。
 これ、国際比較をやってないせいだね。今の中教審もやってない。ちょっと目に付いたアメリカとイギリスを拾ってるだけ。

小貫: 役所的に考えて、役所としてできることに移し変えて解釈し直している。

古山: そうなんです。自分のところでできることしか考えないし手をつけない。自分が消滅しそうなことは、ぜったいに考えない。中教審は、もともと教育刷新委員会というのが戦後の教育改革をやってきたんだけど、それを中央教育審議会にするとき、文部省の中に入れるか、文部省の上に作るかで論議になって、自民党の方が、文部省の中に入れちゃったのね。ご意見番を作るのを、嫌がったのね。学者は、けっこう見えてる人たちいるから。それで、そういうことになっちゃった。
 でも、71年の答申に、まあ、これだけは確かに掴んでいるものがある提言だなというのがありまして、中高一貫6年にしちゃえというんですよ。そうすると、高校受験ですり減らすのがなくなるから。これをやってりゃずいぶん違ったと思いますよ。これはちゃんと、中教審も提言したんですよ。おそらく現場が面倒くさかったんでしょうね。大変なので。

小貫: 中学校は市区町村で高校は都道府県、自治体が違うからね。

古山: そうそう、実際にそれをして調整するとすれば、現場の人は残業また残業で、家にも帰れなくなります。死ぬ思いをするよね。そりゃ、いやだよ。でも、その次元だけで決めちゃいけないでしょ。生徒たちの苦しみがあるんだから。でも、面倒くさがった。すべてそういう調子で、結局何も変えないで来ちゃって。
 それから不登校問題が出てきて、96年に「生きる力」と「ゆとり」。やっと気がついたかというところにやってきたんだけど、だったら授業の全然ない学校を作ってみるとか、宿題は絶対に出さないようにしようとか、せめてモデル校くらい作ってみないといけない。それから、心理学者とか教育学者の人を全部集めて、それから外国の例を全部集めて、徹底的に調べないとだめですよ。よさそうな国が見つかったら、それをモデルにやってみるとか、それは全然やらないんですよね。

 
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