〈教育の多様性〉の会
  小貫大輔 vs 古山明男 教育の多様性対談
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  教育が無償である理由
古山・小貫さん

Date : 2002.12.19
Number : 014

ML ID :
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古山: もうひとつ、奇妙なことがあって、今の日本人の大部分は現在教育を経済だと思ってるんですよ。

小貫: そうですね、一連の規制緩和の動きの中で、内閣府とか経済産業省というのはもちろんそう思って行動してますよね。NPO法人学校の勉強会でも、彼らの発言はその点に終始した。

古山: だから、経済産業省がなぜか教育を含んできてるんです。文部省もそれを信用して、あ、そうだと思って、いうこと聞かなきゃと。民間も信じてる。実は、人間がいれば教育があるものであって、経済じゃないんですよ。もっと、根源的なものです。
 教育の中で商売になるのはほんの一部ですよ。そろばん塾や書道塾も採算とれるし、あるいは大学進学なら、確かに価値がでかいから金を払ってもと思いますけどね。
 本当に、子どもたちが伸びるところにきちんと大人が関係を持っていくのは、これは営利じゃなかなか成り立たない。教育の一番でかい部分は、子どものことがよくわかっている人を専門でつけてあげることです。教養と良識に富んだ大人を専業にさせてあげて、その人の人間としての最善をしてもらう。子どもと一緒にいさせて、黙っているときもある、教えるときもある、いっしょに遊ぶときもある、子どもたちを押すときもある、抑えるときもある、いろいろあるけれども、こういう部分というのは絶対金にならないんですよ。教育っていうの社会の中にきちんと温室を作って、苗のうちに冷たい風にさらされないようにすることです。これは、社会全体の経費なんです。個人個人ではやりきれないことです。
 民主主義社会を維持するには、教養と判断力のある人たちがいなければならない。だから、義務教育があるんです。義務づけてるんだから、実行可能なようにしてやらなければならない。だから無償なんです。
 よく、教育は個人の立身出世のためなんだ、だから金は自分で出せ、と解釈するんですけど、それだったら、教育を義務付ける必要ありません。立身出世だったら、したい人だけすればいいわけでしょう。
 教育と言うのは社会全体の費用であって、国がやろうが、民間がやろうが、無償なんです。
いま、私立の小中学校は、義務教育をやっていると認められているのに、授業料を払ってるでしょう。あれ、おかしいんですよ。はっきりと、憲法違反です。ここから考えていったら、国のやっているのだけが義務教育だっていうの、変わってくるんじゃないかな。
 ある年齢の子にした教育はみんな義務教育であり、無償なんです。最後の結果としては、これが、最大の投資効率ももっている。だって、人を育てているんだもの。でも、効率のいい悪いでやるんじゃないんです。
 古来歴史的に言って、教育というのは経済の領域じゃなくて、子どもができたから教育があるんですよ。どんな場所にだってどんな時代にだって教育がある。金を取れるのは、教育の中のほんの一部分だけ。そこを教育だと思っちゃった。

小貫: 本当は日本人らしくないんだけどね、そういう発想はね。

古山: そうだよねえ。どうしてだろうね。

小貫: 戦争前の日本人のことを思えばね、そんな学力とか競争とかいうことをもって教育とするような民族じゃなかったと思うんだけどね。

 
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