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古山・小貫さん
Date : 2002.12.19
Number : 006
ML ID :
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古山: ええ、そうなんです。とんでもないところに冷戦構造が出てきましたよね。教員を何とかしてコントロールのもとに入れたいという一心です。監視してれば、ちゃんといい仕事をするだろうって信じてる。これは、工場の論理なのに。教員をコントロールしたい一心で、ヒエラルキーをどんどん作っていくんですよね。ヒエラルキーに支配されるって、つらい。でもヒエラルキーを登ればそこには自由の天地があるって、思うものですよ。反抗しなくなる。それが完成するのがだいたい70年頃です。
不登校の原因、もちろんいろいろあるけど、統計を見るとやはり70年代から急に増えてきているんですね。このころから、教員が文部省から始まる系列の中、お役人の体系に完全に入れられちゃっている。
教員組合って、潰しちゃいけないんです。文部省と日教組は、もみ合って、相互尊敬にいたるべき関係だったのに。どの立場の人も、発言権をもてるようにするのが、国の仕事のはずなんですけどねえ。教員も、親も、生徒も、みんな発言権を潰しちゃった。
それと、もう一つは指導助言体制というのが大無責任体制を生み出した。昭和31年以降の文部省中央集権は、実は、法制的な裏づけがない。法制上は、指導助言しかできません。
指導助言体制と言うのは「ああ、そこに棚があるといいなあ」てなこと、誰に言うともなく、言うんですよ。それは指導助言しかできないんだから「作れ」とは言えないです。言われたほうは、「あ、棚、そう、棚があるといいと私が気がつきました」と作るわけですよ。やらなかったら後で何されるかわからないから。直接に文句は言われないんだけども、あとでニラまれて出世が……とか、補助金が……とかいう話になっちゃう。
でもね、もしまずいことがおきたら、例えば、棚を作るときに壁をこわしちゃったら、その時、誰の責任なんだろ。誰も責任をとらないし、原因究明もやらないんです。いちおうはこれを作ったやつの責任だから、いちおう謝るけど、なぜ、壊れやすい壁に棚を作ろうとしたかは理解していない。原因究明なんてやらない。頭を下げて、やり過ごすだけ。できれば、ほっかむりしちゃいたい心境ですよ。やらされただけなのに、責任負わされちゃってるんだから。いっぽう、作れと言ったほうは、「私の責任です」と名乗り出るわけにいかない。命令しちゃいけない関係だもの。「あのバカの釘の打ち方がなっとらん」、くらいで済ましてしまう。
小貫: 先日から、ぼくには自分の中に繰り返し戻ってくるキーワードがあります。古山さんのおっしゃることで非常に重要だと思うのは、日本の社会のもつ権威主義的傾向の問題点です。文部科学省を中心とした、上から下に命令を出す社会のあり方が問題だと思う。しかし、もう一つ重大なのは、それを甘んじて受け入れる国民性だと思うんです。そのような社会のあり方を許す、いや、むしろそのような社会が生まれるようにしてしまうのは、まさに国民の性向に問題があると思うんです。
日本は民主主義の国で、こんなことで国家に逆らったって死刑にもならないし、警官が家まで来るようなことはないでしょう。「やってくれるとうれしいな」と言われるとやるというね、そういうことをする民族であるというところに、問題点があると思うんです。
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