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ベルギーのブリュッセルの国際会議センターで、"Alliance for Childhood"の初めての国際大会が開かれました(2000年10月11日〜14日)。
「子どもが子どもとして子ども時代を過ごす権利を皆で取り戻し、守っていこう」というのがこの「子ども時代のための同盟」の趣旨で、シュタイナー教育関係者が、その中心になっていますが、シュタイナー教育に関わっていない人たちとともに、子どものために手と手を取り合って活動していこうとしている一つの新しい動きで、まだ"Alliance for Childhood"という団体があるわけではありません。
この何年か、シュタイナー幼稚園の世界大会でも常に「子どもの子どもでいる権利」を守ろう、取り戻そうということが大きく取り上げられていましたが、今回初めて、シュタイナー幼稚園の枠から大きく広がった形での集まりが持たれました。 29ヶ国から350人の参加者がありました。 講演と幾つかのグループに分かれてのパネルディスカッションがあり、ドイツ語と英語が主でしたが、オランダ語やフランス語の講演もあり、同時通訳をヘッドフォンで聞きながらの集まりでした。 もちろん日本語への同時通訳はありませんでしたので、私は2チャンネルでドイツ語で聞いていました。 日本からの参加は私を含めて3人でした。 初日は、ブリュッセルがECの中心ということもあって、ヨーロッパ議会の議員のスピーチで始まりました。 会場の丸い形をしたホールには虹色に染められた絹の布が張り巡らされており、ステージには秋の季節の装飾がされていました。 講演、パネルディスカッションのパネラーは、政治家、法律家、教師、医者、心理学者などそれぞれの専門の分野から、子どもの権利を守るということにどのようにアプローチできるか、また、そもそも子どもが子どもであるということはどういうことかという観点から子どもの発達や遊びについて、そして子どもが子どもであることを妨げているのは何か、といったテーマについてとても興味深い話をしてくださいました。 参加者はシュタイナー教育関係の人とそれ以外の人がおよそ半数ずつで、シュタイナー教育の関係者が、人智学の専門用語をまったく使わないで話していたのも大変興味深かいことでした。 子どもの発達について学び、子どもが自分で成長発達していくことを妨げないようにすること、子どもにとって遊ぶことはとても大切なことで、子どもが自由に遊べるようにしてあげることの大切さ、子どもをテレビ、ビデオ、コンピューターゲームなどから守ることの大切さなどが、この大会に参加した人たちの共通認識になったと思います。 ここでは、いろいろな講演や報告などの中で特に私に印象深かった3人の講演者の話を紹介したいと思います。 アンナ・タルドス女史は、ハンガリーのブダペストにあるエミー・ピックラー・インスティテュートの所長です。エミー・ピックラー(Emmi Pickler)はハンガリーの女医で乳幼児の運動の発達に関する研究をした人で、彼女の本はシュタイナー教育に関わる人たちに良く読まれています。 小柄な落ち着いた雰囲気のタルドスさんはブダペストで、赤ちゃんに関わる看護婦の養成や親たちの勉強会などを行っています。 タルドスさんの話を少しまとめてみます。 エミー・ピックラーは乳幼児の運動の発達をよく観察し、その成果として、乳幼児にかかわる親や教師、看護婦などすべての大人が、どのように子どもに向かい合えばよいかという問いに、明快な答えを出した。 子どもが自分でその姿勢が取れるようになる前に、その姿勢にさせない。 子どもが次分でその活動、行為、運動が出来るようになる前にその運動をさせない。 という単純なことをピックラーは唱えた。 具体的には、首が座る前の赤ちゃんを立て抱きしない。 自分で座ることができない赤ちゃんを座らせない。 自分で立てない子どもを手を持ったりして立たせない、歩かせない。 お母さんは忍耐すること待つことができず、少しでも早くいろいろな運動や活動ができるように手を貸してしまう。 その行為は、子どもへの愛情から出ているように見えるけれど、しかし赤ちゃんは本当にそうして欲しいのだろうか。 子どもは、自分で成長発達していく力を持っている。 そのことを多くの場合親たちは気がつかないままでいるのが現状だ。 首が座る前に立て抱きをされても、何時も座らせてもらっていても、歩行器を使って歩けるようになっても、子どもはちゃんと成長していくじゃないか、と多くの方は考えるだろう。 しかしその場合と、子どもが自分で成長発達していくのを見守る時間と空間を作っていく場合では決定的な違いがある。 それは、子どもに対する「畏敬の念」、Respektがあるかないかだ。 今は赤ちゃんであるその一人の人間に対する畏敬の念を持つこと、その人間の尊厳を認めることができれば、その赤ちゃんの持つ自分で成長発達していく力を認め、子どもがその子どものペースでゆっくりと成長発達していくことを見守る時間や空間を作っていくことができるはずだ。 そしてそれは子どもにとっても、自分が受け入れられている、自分が認められている、愛されているという無意識な体験になっていく。 座れない子どもを座らせる、立てない子どもを立たせ、歩かせるといった行為は、それが一つの愛情表現のように見えても、子どもにとっては、小さな暴力mini violenceといっても良いものだ。 その行為は実は、大人の勝手な大人からの一方的な行為なのだ。 「小さな暴力」という表現はとてもインパクトがありました。 彼女の所で研修を受けた看護婦さんがオムツ替えをしている所を録画したビデオを見せていただいたのですが、あったかく赤ちゃんを包み込み、ゆっくりと丁寧な動作で、行われていくオムツ替えは、赤ちゃんにとって、とても心地が良い様子が伝わってきました。 彼女の話は、子どもの成長発達を良く見ること、そしてその成長発達のプロセスの中にしっかり没頭していけるように大人が配慮してあげることが如何に大切かを気がつかせてくださいました。 アメリカのアーカンソーから来たデーブ・グロスマンDave Grossmanは、米陸軍中佐で、レンジャー舞台や落下傘部隊にいたこともあり、ウエスト・ポイント陸軍士官学校で心理学を教えていたこともあり、現在はアーカンソー州立大学の教授です。 彼の講演は最もショッキングで、参加者皆に大きな衝撃を与えました。 彼は"On Killing"(「人殺しの心理学」原書房)そして、"Stop Teaching Our Kids to Kill"(私たちの子どもに殺すことを教えるのを止めろ、邦訳は未出版)の2冊の本を書いており、その内容についての講演(というよりも、トークショウという感じでした)でした。 彼の話は以下のようなものでした。 人間はそもそも他の人間を殺すことに対して嫌悪感を持っており、普通、人間は人を殺さないものである。 それが戦争では人間は人間を殺してきた。 しかし、アメリカ軍の第二次大戦中の「発砲率」(標的となる敵がいて銃を打つべき状況になったときに実際に発砲する確率)は15%程だったのに、ベトナム戦争の時の発砲率は90%ほどまで高くなっていた。 それは、軍におけるさまざまな訓練によるもので、その訓練は、実際の武器の使い方から始まるけれど、それ以上に、画像を使ったシミュレーション、人を殺すような残虐なシーンの映像を沢山見ること、そしてさまざまな条件づけが大半を占めている。 その条件づけの訓練によって入隊した若者たちは、人を殺すこと、人に対して発砲することが、たいしたことでないと感じるようになるような「脱感」状態になり、かつ上官の命令があったら、人間に対して発砲するということがあたりまえである状態にまで訓練されていく。 しかし軍の場合は、「命令があったときにのみ発砲する」というストッパーがあり、それがはっきりと機能していて、命令なしに発砲することは罰せられる。 この軍における条件づけの訓練と同じプロセスは、軍における訓練にのみ見られるのでなく、そのプロセスは現在の世の中では、町の中、家の中、子ども部屋の中で行われていることを、私たちはしっかり認識してそれに対処しなければならない。 たとえば、ファミコン、プレステといったコンピューターゲームの中にある「シューティングゲーム」(実際に画像の中の人、敵、的を撃っていくたぐいのゲーム)は軍の訓練に使われているのとまったくかわらないものであり、そして、私たち大人そして子どもたちが見ている映画の大半は、殺人のシーン、暴力シーンがある。 そしてそういった映画では、その映画の主人公「ヒーロー」は、次から次へと正義のためと称して、あるいは復讐のために人を殺していく。 あるいはホラー映画によって残虐なシーンが日常的なものになってしまっている。 こういったメディアづけになっている現代の子どもたちは、それによって軍で特別にやっている訓練と同じプロセスを無意識に自分の子ども部屋の中で行っている、というのが現実であり事実だ。 この状況なのかで育った子どもたちが、殺人事件、発砲事件、暴力事件などを起こすことは、その結果であり、ある意味で自明なことだ。 つまり銃を打つこと、人を撃つことに対して、「脱感」状態になってしまっていて、別にたいした理由がなくても、軽い気持ちで、たいしたことでないこととして人を殺すことが可能なのだ。 この状態は、軍において、上官の命令というストッパーが機能している状態よりもさらに悪い状態だといえる。 私たちの子どもに殺人の訓練を無意識にさせないために、そして世の中にこれ以上「暴力」というなまえのヴィールスを蔓延させないために、私たちは子どもに、コンピューターゲーム、ビデオ、TVを与えるべきでない。 シュタイナー教育運動はテレビが普及し始めてから、テレビが子どもにとって、特に幼児にどのような影響を及ぼすかを訴えてきました。 グロスマンは、まったく違った立場から、テレビなどが子どもに及ぼす影響について言及しています。 彼の主張はシュタイナー教育のメディアに対する関わり方と共鳴するものですが、シュタイナー教育関係者にとっても本当にショッキングな内容でした。 日本で中学生、高校生の大きな犯罪が起こりましたが、それを起こした子どもたちが、自分の部屋で、ビデオづけであったり、コンピューターゲームづけであったことなどが報道されていましたが、幼児期からの日々のメディアづけがもつ大きな影響についてもっと私たち大人は真剣に受け止めて、この問題に取り組んでいかなければならないと感じました。 アメリカでは高校生の発砲殺人事件の犠牲となった子どもの親たちが、グロスマンの本を読み、発砲した子どもではなく、メディアにその責任があるとして、メディアを相手取った訴訟を起こしているようです。 グロスマンとはまったく違った意味で今回の会議を特徴付けた講演者は、クラーク・キールブルガー(Craig Kielburger)でした。 カナダ人で、最近日本でも紹介されていた"Free The Children"(以下FTC)の代表者です。17歳で、とても透明感を持っている、好青年でした。FTCは18歳以下の子どもたちによる子どもたちのためのネットワークで、その目的は、子どもたちを困窮、搾取、虐待から救うこと、そして子どもたちの声、意見を社会に対して発信していくことです。 1995年クラークは漫画を読むことの好きな12歳の普通な子どもでした。 そんなある日彼は新聞で、同じ12歳の子どもが殺されたという記事を見てショックを受けました。 パキスタン人のその少年は4歳のときに絨毯を織る子どもばかりが働いている作業所に売られて、それから毎日12時間働きつづけていて、それに対する抗議をしたことによって殺されたのでした。 クラークはそのパキスタンの少年のケースのような労働搾取が行われていることも、そもそもパキスタンが地球のどこにあるのさえも知らなかったのですが、この記事は彼に大きな衝撃を与え、彼の活動の引き金になりました。 クラークは同じ12歳くらいの友達だちたちと、自分たち子どもで同じ子どもたちを救いたいと、FTCを1995年に始めました。 彼は、世界中のいろいろな所でであった子どもたちの状況と、その子どもたちとの出会いや、彼らのすばらしさについて、彼らが何を必要としているかについて活き活きとリアルに話してくれました。 政治とか法律とかそういった手段でなく、とにかく貧困、搾取、虐待といった救われなければならない状況にいる子どもたちがいるのだから、それに気づいた自分たちで何とかしよう、という彼の前向きな姿勢は、今回の会議の最後の講演として、とても大きな衝動を私たち大人に与えてくれました。
報告 吉良創(日本シュタイナー幼児教育協会)
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〈ここで取り上げた3人の著作・情報〉
Emmi Pickler "Lasst mir Zeit" Pflaum Verlag Muenchen ISBN 3-7905-0482-3 "Fridliche Babys-zufriedene Muetter" Herder Raschenbuch Verlag ISBN 3-451-07947-X 以上 ドイツ語です。 Lt. Col. Dave Grossman "On Killing" Back Bay Books ISBN 0-316-33011-6 邦訳『「人殺し」の心理学』デーヴ・グロスマン 安原和見訳 原書房 ISBN4-562-03102-6 2200円 "Stop Teaching Our Kids to Kill :A Call to Action Against TV, Movie and Video Game Violence" Random House ISBN: 0609606131 http://www.killology.com こちらは彼のホームページです。 Killologyは殺人学と訳すようです。 "Trained to Kill"という彼の書いた文章が出ていますので、英語ができる方は是非読んでみてください。 Craig Kielburger Free The Children ホームページ http://www.freethechildren.org ここで彼らの活動についてのインフォメーションを得ることができます。 |
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