治癒教育の原点を現代に生かす
今月のこの人:みうら かずこ さん インタビュー
ヨーロッパに人智学による治癒教育の創始者たちの輝きが残っていた時期に、ドイツ、スイスで学び、北海道の過疎地域で精神障がい者地域共同作業所の所長を長く経験されたみうらかずこさん。 彼の地で体験した前時代の残照と地域に根ざした経験から見えてきたものは? 来春の講座に先駆けてお話をうかがいました。
治癒教育の原点を現代に生かす
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みから かずこ さん
1991~1993年、ドイツ・ビンゲンハイムとスイス・ドルナッハにてシュタイナー治癒教育の理論と実際を学び、治療教育者の資格を取得。 帰国後、北海道の早期療育と知的障がい者福祉施設にて芸術療法・作業訓練などにあたる。 また自宅にて不登校児、障がい児の指導にあたる。 1997年より精神障がい者地域共同作業所「ワークスペース前田の家」所長を7年間務める。 2004年より工房「てふてふ」主宰による障害者相談支援事業開始。 2007年より NPO法人「前田の杜」理事長、グループホームケアマネージャーを兼務。
Forum3:精神障がい者の作業所に関わられたのはどんなきっかけから?
みうら:私の兄が統合失調症だったんです。 昭和50、60年当時の北海道では、障がい者、特に精神病患者は隠すのが当然で、病院も鉄格子が普通でした。 病院で面会簿に名前を書かされたりして、人としての扱いではないと思いました。
そんななか兄は帰る家のない精神病患者や捨て猫を家に連れてきたりするんですよ。 すごく優しい人だけど生活能力がなかったんですね。 その姿を見てきた私には、社会の方がおかしくないかと思えていたのです。
★ 新田義之/新田貴代共訳『人智学を基盤とする治癒教育の実践―心の手当を必要とする人びとと共に生き、学び、働く』国土社刊,1975年。
当時私は東京でOLをしていましたが、ふと大学に行こうと決めて通信教育を始めた慶応義塾大学の図書館で、新田夫妻の出したビンゲンハイムの共同体の本があったんです★。
Forum3:それでドイツに。
みうら:そうです。 その頃、ドイツはすでにアントロポゾフィーが熟していた時期でした。 たとえばラウテンバッハの共同体ならダックバイラー、ビンゲンハイムならドクター・シュタルケという創設者のオーラが、共同体全体を覆っていたんですよ。 私が行ったのはちょうどドクター・シュタルケが亡くなった年でしたが、依然として彼の存在感は残っていて、子どもたちが彼のことを話すとき、自分のお父さんのことを話しているように感じました。
みうら かずこさん講演会
「治癒教育の原点をいまに生かす」過疎地における精神障がい者地域共同作業所運営および日本の福祉現場での実践の経験を踏まえて
みうら かずこさんをオープンフォーラム早稲田にお招きし、本インタビューの内容をさらに掘り下げていただきます。 時代の転換点に立つアントロポゾフィー治癒教育実践と福祉社会のあり方に向け、治癒教育の原点に触れたみうらさんの経験をいまに生かすためのビジョンを共有しましょう!
日 時:2008年1月13日(日)
13:30~15:00
会 場:オープンフォーラム早稲田
講 師:みうら かずこ
参加費:2,500円
申込先:フォーラム・スリー
tel.03-5287-4770
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2008年1月14日には横浜・アウディオペーデ研修センターでも講演会が開催されます。
今はああいうカリスマはもう生まれないとわきまえた上で動いていかなければと思います。 それは、私たちの時代が背負っているものだと思いますが、みんな小粒になっているという気はしますね。 だからこそみんなでともにつくり上げていかなくちゃいけない時代なのかな…。
Forum3:同感です。
みうら:ビンゲンハイムはものすごく保守的でした。 オイリュトミーも言語造型も基本の基本から積み上げていくやり方。
私はすでに33歳でしたから受け入れられましたが、20代の人たちにとっては権威の押し付けのようで、たまらないものがありました。 そういうやり方は他の共同体や治癒教育の養成所ではすでに崩れ始めていたんですが、ビンゲンハイムには残っていたのです。
だからいろいろ反発もありましたが、後にドルナッハに行ったときにヨーロッパ中の施設の人と出会ってみて、ビンゲンハイムの教育のあり方がどれだけしっかりしていたかを思い知らされましたね。
Forum3:前時代の最後の輝きに触れて帰国された。
みうら:そうですね。 共同体のイメージをしっかりもてたので、帰るときには日本でやろうと思っていたんです。 けれども帰国してみると、日本はドイツとはメンタリティーがぜんぜん違うことに気づいた。 ドイツなら「この問題はあなたが悪いのよ」って、指差し確認みたいに言えますが、日本でそれはありえないでしょう。 それに当時のシュタイナーの勉強会はふわふわと夢を見ているような雰囲気で、きちんと話し合いができないと私は思ったんです(笑)。
Forum3:確かに(笑)。
「しぶとく生きていければいいよ」。 精神障がいの人はまじめな人が多いのです。
だから、「あまり気張らないほうがいいんじゃない?」とガス抜きしながら、依存症の人たちには「あまり寄りかからないで」と釘を刺したりね。 それからお金の問題。 ビンゲンハイムの重度の障がい者をみていたときは、事を司るということの意味はお金をもらうことじゃないよね、ということをとことん話し合いました。 「いい歳して仕事もしないで」という固定観念を、「お金に頼らなくても生きていけるよ」という方向にもっと浸透させていけたらと思っています。 その固定観念は社会の価値観の反映でもあるのですが。
みうらさんが所長を務めていたワークスペース前田の家は、北海道・積丹半島の付け根の小さな町にあります。
ワークスペース前田の家
北海道岩内郡共和町前田67-2
T/F.0135-73-2485
www.f3.dion.ne.jp/~w-maeda/
※ 職員の方がPCが好きでないため、HPはあまり更新されていません。参考までにどうぞ。
みうら:それで自分ひとりでやった方がいいかなと思い、旭川近くに一軒家を借りて、シュタイナーにこだわらずに不登校や重度障がいの方の場を始めました。 平成5年の当時、不登校の子どもたちは本当に行き場がなかったのです。 同時に、厚生省がノーマライゼーションを謳い始めたことから早期療育事業や知的障がい者の更生施設(当時)からも声がかかり、経験を積むためにもと関わりました。
平成7年に精神保健福祉法ができると、それが社会から隔離されている精神病の方たちの法的な救済基盤となり、共同作業所が始まりました。 北海道のなかでも後志は精神疾患の罹患率が高い地域で、そこでがんばっていた精神科医やケースワーカーや看護師が動いてできたのがワークスペース前田の家です。 そこに所長として平成9年から関わり、畑をしたり、木工や織物や染色などの手仕事を中心に芸術療法も取り入れていきました。 ちょうど7年経ち、みんなある程度は自分たちで生活できる状況になったので、他の職員に代わってもらいました。
今はNPOを立ち上げて、障がい者も高齢者もともにできる事業を考えています。 小さな地域で精神病の人たちだけ集まっていても仕方がない。 一方で、高齢化していくことは、障がいをもっていくことなんです。 衣食住、お風呂や除雪の苦労は高齢者も障がい者も同じ。 だから生活支援の領域を法律的に分けていくやり方はおかしいと思っているのです。 小さい町だからこそ、もっと柔軟に施設を共有し、それぞれが得意な仕事をわけあってやれないか。 そんなことを考えているところです。
初出:月刊オープンフォーラム Nov. 2007 / No.67
2010.11.24 Trackback 0



