Apr. 2007 / No.61
第1回感覚フォーラム報告
「感覚の尊厳」を考える
第1回感覚フォーラムを開催しました!
2007/03/31 オープンフォーラム早稲田
感覚フォーラムとは、私たちのもつ感覚が、人が内面の自由を発展させていくために侵すことのできない尊厳を有しているという認識に基づくものです。 人間性の根拠が私たちの感覚に根ざしているという事実を社会に対して明らかにすることを目指しています。
※ 詳しい案内をただいま準備中です。
第1回感覚フォーラムを開催しました
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JR新宿駅のスピーカー。 列車の発車ごとに大音量の音楽が流れる。 その騒々しさは耳をふさぎたくなるほど。
写真: 竹田喜代子さんの打楽器ワーク。鉄の棒、銅のゴング、木の棒を鳴らし、それぞれの音の広がり方、聴こえる領域(頭部・胸部・四肢)の違い、質感(地上的・天上的)について、参加者が体験を語りあいました。
写真: 感覚の大切さを切実に感じている20人近い参加者の皆さん。 キリスト者共同体司祭の小林直生さん、ゲーテ的自然科学研究の丹羽敏雄さん、ライアー響会の吉良創さんの顔も見えますね。
感覚フォーラム問い合わせ先
アウディオペーデ研修センター
T/F.045-543-1394
e-mail:
人の「感覚の尊厳」の社会認知に向けた感覚フォーラムが、2007年3月31日、第1回の集まりをもって始まりました。 集いは呼びかけ人の佐藤雅史(フォーラム・スリー)のあいさつで始まり、竹田喜代子さん(音楽療法士/アウディオペーデ研修センター主宰)による音の体験、藤井喬梓さん(作曲家)の講演があり、その後、参加者全員によるブレインストーミングを通して活動への展望を共有しました。
藤井喬梓さんは、恐山のいたこの音楽とヒップホップの類似を例に引きながら、現代人の無意識下の精神世界へのあこがれが呪術的な音楽文化を生み出していくことの危険性を指摘。 現代人が強い刺激への指向をエスカレートさせていく背景を解き明かすとともに、明るい意識のなかで精神的な輝きを体験できる音楽文化の必要性を語りました。

竹田喜代子さんは、銅、鉄、木製の楽器の音の質の違いを感じとるワークショップを通して、「聴くことの能動性」を培うために静けさの体験が重要と指摘されました。
ブレインストーミングでは、著名人や専門家によるアピールの有効性、「Non-BGM Café Map」の制作や静けさを体験できるワークショップの開催など、反対運動に陥らない方向性を確認。 さしあたっては聴覚と視覚に対象を絞り、わかりやすい活動づくりを目指します。
今後は運営方法などを検討しながら、音楽や絵画・造形の芸術家、医師や療法士、教育者などにも呼びかけ、具体的な活動づくりが始まります。
フォーラム・スタッフ座談会
「健康な感覚が『わたし』をつくる」
感覚フォーラムの開催に先駆けて、フォーラム・スリーのスタッフ4名(佐藤雅史,しまだれいこ,もりしたみえこ,山方美由紀)が、感覚の問題について話し合いました。 自分たちの生活感のなかから語る言葉に納得された方、自分でも言葉を発してみませんか! お便りお待ちしています。
感覚の「受動喫煙」を考える
写真: JR山手線の車内液晶テレビ。 動く映像を目が自然に追ってしまいます。
佐藤:ここ10年でタバコの分煙化が急激に広がったでしょう。 嫌煙権という考えも確立した。 自分たちの感覚についても同じ考え方ができると思うんです。 街には音や映像があふれている。 電車の車内にまでテレビがついていて、僕自身もそうだけど、子どもたちなんか映像に目が釘付けですよ。
山方:最近ではスーパーにも小さな液晶テレビがいっぱいあって、コマーシャルを流してる。 私は電子音が苦手だから、それが精神的に負担です。
みえこ:音はダイレクトに内面に入って来るからね。 行進曲がかかってると、いつの間にか腕を振って歩いてたり。
佐藤:ぼくは「感覚刺激の受動喫煙」と言っているんだけど、自分が体験するものは自分で選べるべきだと思うんです。 子どもの場合は保護者が選択できることが重要です。 「感覚刺激の受動喫煙」から私たちは身を守る権利をもっているんだと思うんです。
みえこ:ヘッドホン音漏れ注意の車内アナウンスも増えたし、そういう考え方への違和感は少なくなったと思う。
佐藤:見たり聞いたりを強制されるのも苦痛だけど、それに慣れてしまうことはもっと怖いと思うんですよ。
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写真: 全身が感覚ともいえる小さな子どもたちの感覚体験は、とりわけ大切なテーマです。 感覚フォーラムは 「子ども時代のためのアライアンス」に連なる活動でもあります。
山方:あるレベルを超えたら、取捨選択なんかしていられないですからね。 感覚をぜんぶ閉じていないといけない。 最近では親の呼びかけにも返答しない子どもが増えているんですよ。
佐藤:それは教育のせいだけじゃないですね。 映像や音はますます暴力的になってきている。 子どもの暴力性は、教育の問題だけではなくて、日々受けとっている感覚的なものの質にも左右されていると思います。
山方:街中で流れているのはコマーシャルばかりですね。
佐藤:人の関心を惹きつけることが目的だから、どんどん刺激的になる。
れいこ:それも繰り返しやるでしょう。
佐藤:そう。 何度も繰り返されると、自分なりの正しい感覚や判断力が麻痺して育たなくなるんです。
虚構と現実の逆転は深刻
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風呂がわくと女性の声でアナウンス。 音を消すオプションがあってもよいのでは?
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街中をつたう電線の数は増加の一途。 こんな風景に慣らされてしまっていいの?
山方:テレビでおしん役を演じた小林綾子に、「苦労したね、えらかったわねぇ」って声をかける人がいるんですって。 演劇の舞台と違い、映像だと大人でも錯覚に陥ってしまうんです。 そうかと思えば、湾岸戦争の映像を見ていた子どもが、「わぁ、きれい」って。 ミサイルを撃ち込まれて人が死んでいく映像を見ながら、平気でご飯を食べられる感覚になってしまうんですね。
れいこ:それをコマーシャリズムが上手に使って成功していると思う。
佐藤:虚構が真実になったり、真実が絵空事になってしまう。 その現実を僕たちが明確に意識していくことが大切だと思います。 欧米では消費者運動が大きな力をもっていますが、日本ではそういう発信力が弱いですね。
山方:そうですね。 不買運動なども起きたためしがないですから。
佐藤:個を基盤にした市民社会の成熟が日本の最大の課題です。
みえこ:問題意識をもっている人たちは、メディアからはスポイルされてるから、結局みんなの目はメディアに行ってしまいますね。
佐藤:そこを変えていく原動力が欲しいんです。 「NO」と言える自我の力が。
みえこ:私たちが受けた教育には、「個」に対して否定的な雰囲気があった。 そんな私たちが、わがままでいいからしっかり立って変わらないと。
れいこ:よく女性雑誌を見ていると、すごく勘違いしていると思うのね。 女性誌には企業サイドの思惑があって、「個性的」と言いながら、実際はみんな同じ格好すれば安心ですよという売り方をしている。 だから、若さの中でその美しさを発揮できている子がとても少なくなってきた。 個としての本質が抜けているから、みんな同じに見えるし、食べ方も汚いし、「どうなってるの?」って私は思う。
自我の土台は感覚から
みえこ:人に見られたい意識はあるのに、見ている人の側に立った意識はないということでしょう。
れいこ:シュタイナーの言う自我感覚の欠落。 人中でお化粧をしてても平気。
みえこ:自我感覚というのは相手の自我を感じる力だから、それが育っていればもっと違ってくるでしょうね。
佐藤:自我感覚のような高次の感覚は、皮膚感覚のような基本的な感覚の土台の上に成り立っていますよね。 その土台が育っていないから、そういう自我感覚も未発達なんです。
「私」というものを体験する基礎となるものが感覚ですから、個が発展していくためにも感覚は重要です。 その裏づけを示すために、アントロポゾフィーの認識が役に立つと思います。
れいこ:たとえば、私は「聴く」という行為が不得手なんです。 自分のことを前に出したくなるのを抑えながら聴くんです。 修行ですよね。 アントロポゾフィーの世界には、行為を通しての学びがあると思います。
佐藤:この感覚フォーラムを呼びかけるにあたって、オープンフォーラムでも講座を開きたいですね。
れいこ:いま開いているフォーラムの手仕事講座にしても、作品を作ることだけが目的ではないですよね。
山方:手仕事は感覚を総動員することが必要だし、美的なバランスを自分のなかで探っていく作業です。
佐藤:そんな足下からのアプローチと、権利という理念からのアプローチ。 その両面から取り組みたいですね。
『人権はライトな感覚だ!』
R.シュタイナーの社会論から見えるもの
一部の人たちから敬遠される「人権」という言葉は、実は人間が自由であるために必要な自然な欲求のひとつです。 人権にまつわる誤解を解くために、ルドルフ・シュタイナーの社会論を紐解いてみましょう。
佐藤雅史(感覚フォーラム呼びかけ人)
『人権はライトな感覚だ!』
保守的な考えの人たちが忌み嫌う言葉のひとつに「人権」がある。 「人権屋は権利ばかり主張して国民としての義務を果たすことに無自覚だ」というのがその理由。 だけど、健康な権利意識には、人の心に真の責任感情を呼び覚ます力があると私は思う。
ルドルフ・シュタイナーが示した社会有機体の三区分、精神・法・経済で考えると、権利に関わるのは法の領域だ。 法の領域においてはすべての人が対等な人間として有する権利が問題となるが、その権利は経済的な欲求を廃した、純粋な人間性に基づくものでなくてはならないというところに彼の慧眼が光る。
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感覚フォーラムを入間カイ君が応援してくれています。 BLOG「入間カイのシュタイナー探訪」もぜひ訪問してみてください。
企業が刺激的なコマーシャルを大量生産し、環境や美観を無視した経済活動を続けられるのは、法領域のなかに経済的欲求が反映される一方で、純人間的な権利意識が反映されにくい状況があるからだ。 欧米の市民社会において人権を中心とした権利運動が盛んなのは、「法は人間性に基礎をおくもの」という感覚が社会のなかに生きているからだろう。 そのように人としての権利が正当に保障される社会は、同時に自己の責任が求められる社会でもある。 人間性を基礎においた権利は私たちに自由を与えるが、その結果に責任を取れるのは自由の主体者だけだからだ。 ヴァルドルフ学校づくりはそのような例の典型だろう。
権利は自由と責任を生み出す種子だ。 私たちひとりひとりが自分自身のなかに人としての権利を自覚することが、その種子を生み出す一歩となるだろう。 私は感覚フォーラムを、「感覚の尊厳」の気づきを通して人としての意識を呼び起こすアクションだと考えている。
初出:月刊オープンフォーラム Apr. 2007 / No.61
