Jun. 2002 / No.12
グローバリゼーションと市民社会を考える
パレスチナ問題と9.11後の世界
寄稿:テリー・ボードマンさん / 訳:安藤登美栄さん
全世界を震撼させた9.11事件直後、「グローバリゼーションと市民社会を考える」をテーマに様々な方からご寄稿いただきました。 そのなかから、その後の9.11事件を占うような記事として、テリー・ボードマンさんの論考を紹介します。 テリーさんは、アントロポゾフィーの歴史兆候学に基づいた社会批評を行っているイギリスのアントロポソフィストで、オイリュトミストでもあります。
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テリー・ボードマンさん(中央)
1952年イギリス生まれ。 90年代、関西地域でパートナーの登美栄さんとともに人智学運動とオイリュトミーの指導に深く関わる。 現在はイギリスに戻り、歴史と現代の問題についてアントロポゾフィーの視点から著作、講演を行い、特に東洋と西洋の問題に深く関わっている。 人智学に基づいたテリーさんの論考の数々は下記のサイトで読むことができます。 HP(英文)
写真は、ニカノール・ペルラスさんが開催したフィリピンの国際会議「未来をかたちづくる ― グローバリゼーション・人智学・社会の三分節」(1998年)でのスナップ。
秘教的な観点※1から言って、エルサレムは空間(地理)、時間(歴史)の双方において世界の中心である。 アーリマン的諸力※2にとっては、キリスト教を含むすべての霊性の破壊こそが、その究極の目的である。 アーリマンの受肉※3は、いまや時間の問題であり、アーリマンの媒体である「人間」は、約30年以内にアメリカ大陸のどこかにその姿を現すと考えられる。 次のように仮定してみたらどうだろう。 この「人間」は、1999年8月の完全日食とグランドクロスと時を同じくして受胎し、9ヵ月後の2000年5月初め、惑星が一列に並ぶという驚くべき現象が起こったその時期に、この世に生まれ出た、と仮定してみるのである。 もしそうであれば、この「人間」は今すでに2歳であり、この人間が地上に存在することで、アーリマン化が急進させられることを考えたとき、世界の出来事をこの「人間」の成長と切り離して考えることはできない。 子供の一般的な成長から行くと、この子供はもう歩くことができるだろうし、言葉も話し始めているだろう。アーリマンの受肉を促進させようとしている勢力は、アーリマンがなんらかの支配者といったような形で世界に姿を現すとき、キリストの磔刑(たっけい)と復活の地エルサレムが、その舞台となることを望んでいる。
イスラエル国家は、イギリスとアメリカの援助によって創設された。 ナチのユダヤ人弾圧も、期せずしてこれを助けることとなった。 このイスラエル建国を、上記のような状況と照らし合わせて見てみたらどうだろう。 「ユダヤ民族のための国家」(バルフォア宣言,1917年)を作り、1919年から1948年までパレスチナ委任統治領を管轄したイギリスなしには、また、1948年の建国以来、他のどんな国にも出していないほどの多額の援助金で、イスラエル国家を終始変わらずささえてきたアメリカなしでは、さらにいえば、そのユダヤ人に対する残酷な仕打ちにより、シオニズム運動に世界中の同情を集め、ひいては第二次世界大戦後のユダヤ人のための安全な居住地という考えを広める原因となったヒットラーなしには、イスラエル国家は存在しえなかった。 イスラエル国家を創設へと導いたいろいろな要因のうち、ユダヤ人が寄与した主要なものは、もちろんシオニズムである。 これは、19世紀ヨーロッパとそれ以外の国をも席巻したナショナリズムの波の一部として現れた政治運動である。 ちょうど11世紀のヨーロッパ十字軍がその同じ地に執着したように、シオニズムにおいては、ユダヤ人たちはこの土地を自分たちのものにする運動に、ヨーロッパにおけるユダヤ人の迫害、偏見への解決策を見たのである。
ルドルフ・シュタイナーによると、英語圏の国民(English-speaking peoples)とドイツ人は、第5・後アトランテイス期※4を“導く”という特別な使命を負っている。 そしてこのアングロ・ドイツ人たちこそが、パレスチナを今日の状況に導いた出来事に特に密接な関係を持っている。 物質主義者や皮肉屋は、次のように言うだろう。「じゃあ、石油はどうなのか。石油こそこれらすべてのおおもととなる要素なのではないか。だからこそ、イギリスとアメリカはこんなに長い間中東に介入してきているのではないのか」。
※1 秘教的な観点
古代の文化は例外なく、神託や啓示にその源をもっていた。 そのような密儀に関わる人たちは、人類の内面の強さや道徳的な成熟に見あっただけの知恵を文化のなかに流し入れ、より大きな叡知への扉はそれを受けとる資質を備えた者以外には閉ざされていた。 このように、一般の人々の目から隠され、またいわゆる人間の五感からも隠されているという意味で、古代密儀の流れを汲む叡知は「秘教」と呼ばれている。 R.シュタイナーは、近代に入って人間の魂の質は大きく変化し、秘教的な知識はしかるべき方法で公開されるべきであると主張した先駆者としても評価されている。
※2 アーリマンとルシファー
万象のなかに作用する精神的・霊的存在の一群。 人間の内面活動との関わりでは、どちらも誘惑者として働く。 アーリマンは、人間の関心を物質の世界のなかに縛りつけ、精神的・霊的世界を否定する。 ルシファーは対照的に、人間をエゴイスティックな幻想に夢中にさせ、地上世界から切り離そうとする。
※3 アーリマンの受肉
アーリマン存在を担った人間が誕生するということ。 R.シュタイナーの講義録を収めた『悪の秘儀・アーリマンとルシファー』(イザラ書房)参照。
※4 第5・後アトランティス期
歴史上の時代区分のひとつ。 「後(ポスト)アトランティス期」はおよそ紀元前7000年から紀元8000までの期間を指し、この期間を7つに区分して、「古インド文化期」「古ペルシャ文化期」「エジプト・カルデア文化期」「ギリシャ・ラテン文化期」、そして「第5文化期」…と呼ぶ。 私たちが生きているこの第5の文化期は15世紀頃に始まり、約2000年の期間をかけてこの時代固有の文化的課題を成熟させていく。
確かに、石油は重要な要素ではある。 アメリカの中央アジアとの関係はまさにそれである。 しかし私が思うには、これは一種の口実以上のものではない。 アメリカでは代替エネルギーが舞台の袖に控えている。 機が熟せば、アメリカはあっというまにそれを出して見せるだろう。 同様に、アメリカでは100年前に電気で動くエンジンが作れたはずだったのに、それをしなかった。 その時以来ずっと、石油は中東介入の口実として使われてきた。 アジア西部から中央アジア――トルコからインドにかけての地域――は、後アトランテイス期における事実上の世界の霊的中心地である。 この地域には、世界的な霊的流れのすべてが見られる。 多神教、一神教、非有神論的“哲学的”仏教、有神論的仏教(宇宙論的大乗仏教)、二元論(ゾロアスター教)、アニミズム。これらすべてはアーリマンによって否定される――それこそがアーリマンの目的である。 なぜなら、これらすべては、単なる物質の世界以外にある他の現実の世界を指し示すものだからである。
アーリマンの第5・後アトランテイス期における政治的道具は、これまでのところ、まずは大英帝国、それからアメリカ帝国という、英語圏のエリートたちによって現代に再創造された現代版ローマ帝国である。 1990年9月11日の議会でのスピーチの中で、ジョージ・ブッシュ大統領は、新世界秩序としてこれに言及し、時は満ちたと宣言した。 ブッシュ大統領は、アーリマンの受肉においていわば洗礼者ヨハネの役割を果たしたのである。 これは、ブッシュの頭に突然ひらめいたというようなことでは決してない。 セシル・ローズが、「文明」と「世界平和」を保証するためのアングロアメリカン世界帝国の構想を明らかにして以来、100年にもわたって、英米の外交政策を牛耳るエリートたちの間で準備されてきたことなのである。
現ジョージ・ブッシュ大統領を支持する右翼的キリスト教原理主義運動に属する人々の多くは、英語圏の人々の助けによってユダヤ人がパレスチナに帰り、エルサレムのテンプルマウントに第3のテンプルが建てられてはじめて、キリストの再来が起こると信じている。 これは、1600年から1917年にかけて、イギリスの清教徒や福音派キリスト教信者の多くが信じるところだったし、この信仰はまた、イスラエル国家が最終的に創設されるにいたる大きな要因ともなった。
より厳格で好戦的な清教徒という形で、ヨーロッパは、戦闘的イスラムのヨーロッパ版とでもいえるものを生み出した。 ヨーロッパの宗教改革は、14世紀、15世紀というヨーロッパキリスト教世界における「思春期」の危機のなかから生まれたものである。 イスラムの暦によると、今年2002年は、イスラム世界では1423年である。 つまりは、前世紀、イスラムは不安定な「思春期」を通っていたということになり、しかもまだ少なくとも1世紀(100年)はそのただ中にある、ということになる。 歴史の法則をちゃんと知って事を運ぶ西洋のエリートたちは、この事実をもちろん考慮しており、したがってイスラムにおける宗教改革を待っており、それによってイスラム社会がキリスト教西洋で起こったのと同じように、事実上俗化されていくことを期待している。 西洋においてと同じように、この宗教改革によって、アーリマン的要素のモスリム社会への浸透が広く確実なものになる。 そうなるまで西洋のエリートたちは、経済、政治、文化などあらゆる側面から、モスリム社会に圧力をかけ続けていくだろう。 この「ビジョン」を世界にあからさまに告げた著作として悪評の高い『文明の衝突』(“The Clash of Civilisations”1996年,邦訳集英社刊)の著者サミュエル・ハンチントンは、何十年にもわたって西洋エリートの中心近くにい続けている学者である。
歴史的背景はこのぐらいにして、では現在と未来についてはどうだろう。 アーリマンの受肉は必定である。 アングロ・アメリカのエリートたちは、パレスチナにおける現在の危機が「国際化」されるようもっていく。 そして「平和」の名においてパレスチナ、特にエルサレムを何らかの形で管轄下におこうとするだろう。 ルドルフ・シュタイナーによると、西洋のエリートたちは目的を遂行するため、えせヘーゲル哲学の形式とでもいえる方法を使う※5。 テーゼ、アンチテーゼから新たな綜合へというダイナミックな過程を見通したヘーゲルの洞察にしたがって、これらのエリートたちは、まずは問題の生まれる契機となる勢力を、そして次にこれに敵対する第二の勢力を作り出し、緊張がどんどん高まっていき、それがもうこれ以上は維持できない状態までいったところで解決策を持ち出す――その解決策とは彼らが最初から望んでいた目標そのものなのである。 そうすると、これはみなの目から見て「必然的」と映り、受け入れられるということになる。 現ジョージ・ブッシュ大統領は、どこか間が抜けたように見えるかもしれない。 しかし、大統領官房においてはそれとは正反対の人々に囲まれていることを忘れてはならない。 メデイアは、ブッシュ政権は無能であり、イスラエルの状況をうまく処理できないというメッセージを広げようとしている。 しかし、事実は、ブッシュ政権は時機を待っているのである。 アメリカが「望む」解決策を示すことができる時点になるまで、両者を互いに争わせ(自分の利に導く機を)待っているのである。
※5 えせヘーゲル主義の形式
このような背景をもつ結社としては、エール大学に拠点をもち、映画にも登場する「スカル・アンド・ボーンズ」が挙げられる。 2004年の大統領選の際に、ブッシュ大統領と対抗馬のケリー上院議員がともに「ボーンズマン」であることが朝日新聞の紙面でも公然と報道されている(2004年4月17日朝刊)。
このようなやりかたで、アーリマンと彼の手先は西洋から働きかけている。 ルシファーとその仲間は必然的に、アメリカ先導の物質主義を「敵」とみなす、すべての文化あるいは宗教における反動的伝統主義者というかたちで、これに反対して立ち上がる。 憂慮されるのは、ロシアにおける“ユーラシア運動”※6が影響力を広げていることである。 国民ボルシェヴィキを説いて回るアレクサンダー・ドウーギンなどの率いるこの運動は、西洋の物質主義に対抗して、ヨーロッパ、アジアの双方においてすべての勢力を結集しようという動きである。 日本でもこのような呼びかけに応じる人がいないとはいえないだろう。 経済と政治を基盤にこれを行おうとした共産主義と違って、ユーラシア運動は、文化的霊的側面においてそれを行おうとしている。 モスリムのテロリストからヨーロッパのネオナチ、日本の右翼主義者まで、誰もがその傘下にはいれる。 このようにして“ソラト”−反キリストは自らのえせヘーゲル的ゲームを遂行するのである。 すべての霊性を消滅させ、人間の「自我」を破壊するという目標を達成しようと、自分の手先とも言えるアーリマンとルシファーをまたしても戦わせるのである。
※6 ユーラシア運動
the Eurasianist movementイスラムの脅威に対抗するために、2000年4月21日にドゥーギン(Aleksandr Dugin)が設立。ロシア中心主義を掲げる極右勢力。
人間の21歳、あるいは人類の21世紀において、人間の「自我」は生まれる。 これももうひとつの霊的歴史的事実である。 マタイ伝のなかで、イエスの誕生はヘロデ王による幼子イエスを殺害しようとする試みに直面する。 21世紀、人類の「自我」の誕生は、ソラトの重要な手先たるアーリマンの受肉と時を同じくして起こる。 アーリマンは、第2の(今回は地球的規模の)ローマ帝国の新世界秩序によって、幼子をゆりかごに葬り去ろうとするだろう。 そして、忘れてはならないのは、アーリマンはこの試みにおいて、アーリマンの手に落ちてえせヘーゲル的ゲームの一翼をになうオサマ・ビン・ラディンのような反動的伝統主義者のルシファー的勢力によって、じつは助けられているということだ。 これらすべては、シェークスピアやハリウッドをはるかにしのぐドラマであり、私たちはすべてその中の役者なのである。 パレスチナ人とイスラエル人は、現在のところ互いを十字架にかけようとやっきになっている。 しかし、最終的には、復活は、国連やアングロアメリカの援助による下心のある和平工作によってでなく、霊的に自らを認識すること、慈悲の心をもつこと、互いの理解への努力といった道を通してしか可能ではないだろう。 いくらそれが長く苦渋に満ちた道であろうとも。
初出:月刊オープンフォーラム Jun. 2002 / No.12
