メイン

マイ・プロフィール アーカイブ

2007年08月09日

ブログはじめました

フォーラム・スリーの活動をスタートして以来、活動の基本的姿勢として、自分自身の考えを述べるよりも、アントロポゾフィーの世界で活躍する人々の考えや思いを伝えることに専念してきた。これからもその方針は貫いていくつもりだが、ブログなどのツールを使って、これからは自分自身の考えや出会いについても語っていこうと思う。
「三相至嘱」は思いつきでつけたタイトルだが、アントロポゾフィーの背景に常に流れている三つの相の調和した響きこそ、未来に託すことのできるリアルな「夢」であるという思いがある。もっといいタイトルが見つかるかもしれないが、それまではこのタイトルでお付きあいいただきたい。

仕事が多忙を極めているため、頻繁な更新はいまのところ望めそうもないし、コメント等への返事もなかなか書けないと思うが、あらかじめ失礼をお許しいただけたらと思う。

2007年08月15日

陽亮11か月

昨年9月に生まれた息子が今日で11か月の誕生日(?)を迎える。

ヴァルドルフ教育で言うところの「頭の小さいタイプ」で、両親に似て神経質なタイプだが、ニコニコとハッピーで、しっかりと肉付きのよい身体はずっしりとして「詰まっている」という形容がふさわしい。お陰様でいまのところ病気知らずで、春先に一度だけ出した高熱も一日で収まってしまった。

日々子どもを間近にみるなかで、あらためてルドルフ・シュタイナーやカール・ケーニッヒの言葉に耳を傾けてみると、いままで読み落としてきてしまった観点に出会い、はっとさせられる。

最近、『シュタイナーの美しい生活』というタイトルで西川隆範さんが編んだルドルフ・シュタイナーの講演録集を読んだのだが、そこに、「子どもの教育を子ども対大人の関係で見るのはマーヤー(幻影)である」という趣旨の一節があった。

私たちの肉眼に見えている子どもを教育することは決してできない。「私たちが今の人間として、今の子どもに語るというのはマーヤーで」あって、「私たちの教育者としての来世が、生徒の前世と語りあう」のだと、R.シュタイナーは言う。つまり、目の前にいる子どもの本質は前世の生の結実であり、大人が教育的に働きかけることができるのは、大人のなかの未来へと携えていく力だけである」という指摘を、いまなら理解できる気がする。

あと一月で陽亮・ルーカスの誕生日。連れあいは今からプレゼント用の人形づくりに精を出し、私にも「何か作れ」とせっつくが、いまはただ、彼の全存在を受けとめ、これからお互いを繋いでいくための言葉を紡ぎ出すことで精一杯の日々である。

2007年08月25日

由紀ママ&陽一パパ


陽亮の洗礼の父母になってくれている、オイリュトミストの松山由紀さんと宇佐美陽一さんが訪ねてきてくれた。陽亮を連れて出迎えると、「大きくなったね、しっかりしたね」。春先に会って以来の陽亮の一挙手一投足に、感嘆の声が上がる。

久しぶりの再会を喜びあい、アルファの卒業を祝い、ひとしきり歓談した。卒業公演を終えて一息つくことができた松山さんだが、また少しほっそりしたようだ。熊本の大学教授になった宇佐美さんは、学生たちとの交流の新鮮な体験をたくさん語ってくれた。

その後、ふたりは陽亮の散歩に付き合って、近所の公園までベビーカーを押してくれた。

折しも街は、夏の終わりの諏訪様の祭の準備でにぎやかだ。公園にも御輿の待機所が設けられ、盆踊りのやぐらが組まれている。まだまだ夏の日差しは続くが、この祭が来ると、毎年秋の足音を間近に聞く思いがする。

紅白の幕で囲われた公園の隅にベビーカーを停める。陽亮を膝に載せ、ブランコをこぐと、視界のなかに薄日の差した淡い青空が入ってくる。陽一パパも交代で陽亮をゆらしてくれる。

ゆく夏や 祭囃子に 憂いあり

松山さん、秋に向けてしっかり食べて、力をつけてください。宇佐美さん、秋からまた若い力を元気に導いてください。

ひととき集い、また散っていく人と人の小さな結び目。この結び目のひとつひとつが、おさなごたちの未来に向けて大きな世界を編んでいくのだろう。


*明日(8月26日)は午後2時から、私たちの古い仲間、横浜シュタイナー学園のクラス担任・長井麻美さんの「私の学びの道」を聞く集いをもつ。

About マイ・プロフィール

ブログ「三相至嘱」のカテゴリ「マイ・プロフィール」に投稿されたすべてのエントリーのアーカイブのページです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のカテゴリはジェネラルです。

次のカテゴリはルドルフ・シュタイナーの社会有機体論です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.34