メイン

出会いと交流 アーカイブ

2007年08月15日

生と死・シエスパの事故を経験した女性

2007年8月12日から13日にかけて開いた、アントロポゾフィーの死生観、人間観、宇宙観についての小林直生さんの連続講義が終了した。

お盆シーズンで参加者が少ないのではないかと気を揉んだが、30名近い参加者を得て、エアコンの効かないオープンフォーラム早稲田の空間は「濃密な霊的雰囲気」に包まれた(笑)。霊的という言葉の半分は冗談だが、霊は熱のなかに現れるという意味、霊的な内容が語られる場には彼岸に生きる人々がたくさん集まってくるという意味においては真実だと思う。10時間に及ぶ長きにわたって、その彼岸の者たちを含めた私たちは、本当に充実した時間をともにできたのではないだろうか。

さて、最終日、軽食を食べながらの懇談で、ひとりの参加者の思いがけない体験を聞いた。その若い女性は、それまで質問することもなく、静かに講座を受けていたのだが、自分の自己紹介の順番が回ってくると(前の日にも自己紹介の場があり、2度目だった)、思い切ったように自分の体験を語り始めた。

プライバシーに関わるので詳細は省くが、彼女はあるきっかけで、爆発事故を起こした渋谷のシエスパにマッサージの短期従業員として働いていたという。爆発事故の前日、普段は感じたことのない頭痛を感じ、いぶかしく思いながらも、翌日にはそれもおさまり、普段通り出勤した。

そして、6月19日3時21分、彼女は爆発した休憩所に隣接する本施設の、休息所の反対側の窓から空を見上げ、その美しさに感じ入っていた。その次の瞬間から、彼女の人生のなかに、それまでの日常とはまったく異質のなにかが存在するようになるとは思いもしなかった。

3人の方が亡くなった。休息所に置いた自分の荷物は跡形もなく消え失せていた。そんな物理的状況以上に、彼女は自分の存在そのものの不確かさや意味について思わざるを得なくなったのだと言う。

小林さんの講義でもその答えは出ない。もちろんそうだろう。講義によって答えの出る人生など、この世にはひとつとして存在しない。彼女の話を囲む数十人の輪は、自分の言葉を確かめるように語る彼女の一言一言を、声もなく聞き入っていた。

アントロポゾフィー・人智学は、天に向けられた梯子(ハシゴ)のようなものだと思う。差し出された梯子を、右手、左足、左手、右足と、一歩ずつ、一手ずつ、右と左を行き来しながら、一段、また一段と登っていく精神の梯子。それを登るか登らないかはその人の自由に委ねられている。

彼女は自分の人生においてひとつの経験をし、その経験を通して認識の梯子の前に立った。彼女は登っていくだろうと思う。最初はおぼつかない足取りで。やがて確固とした足取りで。その行き先ははるか上方に小さな点となって見えるのみである。

2007年08月20日

カイ君のアントロポゾフィー研究所

私のブログ先輩である入間カイ君の「入間カイのシュタイナー探訪」というブログが、「入間カイのアントロポゾフィー研究所」にリニューアルした。

聞いたところによると、リニューアルの背景はなかなか込み入っているが、名称が「シュタイナー」から「アントロポゾフィー」に変わったという単純な受け取り方でも、そこからいろいろな刺激を受けることができる。

私は、アントロポゾフィー・人智学の運動に「シュタイナー」の名称を冠することに、いつも小さな抵抗を感じる。オープンフォーラムの誌面では、なるべく「シュタイナー学校」を「ヴァルドルフ学校」と表記しているし、「シュタイナー思想」という言葉を誌面で使ったことは、たぶん一度もないと思う(もちろん、団体名などの固有名詞はその命名者の意向を最大限に尊重しているわけだが)。

それは、ルドルフ・シュタイナーを尊重しないとか、ルドルフ・シュタイナーを超えたいというような、不遜な考えからではなく、むしろルドルフ・シュタイナーの遺志を尊重しようとすれば、必然的に導かれる選択ではないかと思っている。

ルドルフ・シュタイナーの講演録を読み込んでいくと、ある印象を抱くようになる。彼が語る言葉は、常にアントロポゾフィー・人智学という客観的な存在を体現する言葉であって、その意味で彼の言葉ではない。もちろん、ルドルフ・シュタイナーという人格を通してそれは表現されているのだが、その言葉のなかで彼はどこまでも無色透明になろうとする。

ルドルフ・シュタイナーが為した仕事は、本来、彼の恩師であるカール・ユリウス・シュレーアーが為すべきものであったと、ルドルフ・シュタイナーは彼の自伝で述べている。アントロポゾフィー・人智学という実態が地上において形をとるための仲介者は、ルドルフ・シュタイナーという人格に還元されるものではない、ということはたいへん重要な指摘だと思う。

彼の自伝を読むたびに、ルドルフ・シュタイナーが築いたものは、シュタイナー思想でもなく、シュタイナー学校でもなく、シュタイナー医学でもなく、シュタイナー農法でもなく、あなたの考え、あなたの教育、あなたの医学、あなたの農業だったのだ、という思いを新たにする。

その遺志を忘れないためにも、名称ひとつが大きな意味をもつのだと思う。

しかし、その選択は、やはり個々の判断に委ねられるべきだ。私の考えが誰かを縛ることを私は望まない。この文章を考えるための材料としていただければ嬉しく思う。

オープンフォーラムNo.60に関連記事があるので、興味があったら読んでください。)

2007年08月22日

ルドルフ、ルーディ、シュタイナー

名称の話題を引き続き書く。

イギリスのアントロポゾフィー運動のリーダーのひとり、アンドリュー・ウォルパート教授が来日中に、こんなことを口にした。

「日本では、多くの人がルドルフ・シュタイナーのことを『シュタイナー』と呼ぶが、私はそれを耳にするとあまりいい気持ちがしないんだ。山田太郎さんという人が、他人からラストネームで『ヤマダ、ヤマダ』と連呼されたら不快に思うだろう。だから私は、彼のことを『ルドルフ・シュタイナー』と、フルネームで呼んでほしいんだ」。

なるほど、言われてみればそのように感じられる。そう言えば、作家の故ミヒャエル・エンデは、ルドルフ・シュタイナーのことを「ルーディ」という愛称で呼んでいた。これはもちろんルドルフ・シュタイナーのファーストネームをもじったものだ。しかし、個人的な会話のなかならともかく、書き文字で「ルーディ」を連発するのもいやらしい感じがする。

かといって、文中で何度も「ルドルフ・シュタイナー」を繰り返すのもくどくどしいし、「ルドルフ」では通りが悪い。「シュタイナー博士」、あるいは「ドクター」という訳も見かけるが、権威を嫌う現代人にはかえって疎遠な印象を与えるように思う。

いまは窮余の策として、「R.シュタイナー」という逃げの一手を使っているが、どなたかもっとスマートな妙案があったらぜひ教えてほしい。

ところで、このことを前回の名称問題に引きつけて考えると、「シュタイナー学校」というのは「ヤマダ学校」というのと同じことになる。「アベ学校」、「ミヤザワ学校」、「サトウ学校」。やっぱりどこかヘンではないだろうか?

自由ヴァルドルフ学校の「自由」とは?

名称の問題はまだまだある。

「自由ヴァルドルフ学校(Freie Waldorfschule)」、「精神科学(霊学)自由大学(Freie Hochschule für Geisteswissenschaft)」等々についている「自由」という言葉が何を意味をしているのかについて、皆さんは熟考したことがあるだろうか。

キリスト者共同体の小林直生さんに指摘されて初めて私も気づいたのだが、私の場合、それを指摘された瞬間に「なーんだ」という思いがわき起こり、そのうちにじわじわと「やはりそうだったか!」という感動が押し寄せてきた。

もったいぶらずに明かすと、ここで用いられている「自由」は、いわば「私立」の意味で使われているのであって、ヴァルドルフ教育の内容に関する主義主張とは一切関係がないということなのだ。つまり、ここでの「自由」は、国家等から独立した自主教育機関であるということを謳っているに過ぎない。

私たちは「自由」という言葉に弱い。ついつい、思い入れたっぷりに「自由○○××」と掲げたくなるのであるが、ここでは「私立」とか「自主」と書いた方が本来の趣旨に近いということをしっかり意識しておきたい。なぜならこのことは、ルドルフ・シュタイナーの社会論に照らしても、非常に大きな意味があるからだ。

「精神活動」「法活動」「経済活動」の記事で少し触れたが、ルドルフ・シュタイナーの社会論では、社会における精神活動の領域の自立性が非常に重視されている。学校のような文化活動は、経済貢献に適した人材を求める経済界からの要求や、恭順的な人間を求める国家からの要求から、完全な自立を保つことがひとつの理想である。そのことが実現することによって、社会は、すでに存在している外的な要因に引きずられるのではなく、発展の要因を自らの内側に確立できるということなのだ。

2002年に小泉内閣の特区制度が火をつけ、藤野の学校法人シュタイナー学園の認可にひとつの結実をみた「教育の多様性の会」という動きがある。ヴァルドルフ学校というひとつの教育信条を超えて、あらゆるオルタナティブ学校の実現を目指す人たちが手を結んだこの活動の目的は、まさに日本において教育の自主独立の可能性を拓くことにある。

ヴァルドルフ学校が、そんな大きな社会の流れの一翼を担う活動として、意識して「自主」を謳っていくようになれば、ほんとうに素晴らしいことだと思う。

2007年08月24日

韓国にコネクショニストの友を発見1

金弘昌さん(右)と新妻由江さん(左)

韓国のヴァルドルフ学校「緑の森の学校」の先生、金弘昌(キム・ホンチャン)さんと新妻由江さんのフォーラム訪問(2007年8月19日)の報告をしたい。

金さんは物静かで、「まっすぐ」という形容がふさわしい好男子だった。ドイツでの学びを終えて帰国し、緑の学校に赴任してから1年半ほどしか経っていないという。昼食をまじえながら、4時間半にもわたった懇談を淀みなく通訳してくださったのは、同校の日本語教師、新妻由江さん。そして、韓国の大学での日本語教師の経験をもち、いまは日本に戻られた掃部惠美(かもん・えみ)さんも通訳のフォローをしてくださった(掃部さん、助かりました!)。午後からは、ヴァルドルフの幼児教育者トレーニングにも講師として関わっている金さんの希望で、日本シュタイナー幼児教育協会から役員の松浦園さん(ヴァルドルフキンダーガルテンなのはな園教師)も駆けつけてくださった。

私たちはじつに多くのことを話し合った。なかでも、アジアの縦社会のなかで個と共同体の関係をいかに健全につくっていくかという課題意識が、彼の活動の基底をなしていることがわかり、たいへん嬉しく思った。そのことは、別の機会に書くことにして、今回は緑の森の学校について面白いと思ったことをいくつか紹介したい。

韓国のアントロポゾフィー・人智学運動は、日本の活動の草創期に似て、全体の様子が把握できる状況ではないようだが、ヴァルドルフ学校は少なくとも2校存在する。ひとつは対案学校(後述)として5年前にスタートした緑の森の学校で、もうひとつは制度的な縛りのない完全な自主運営校であるという。

対案学校というのは日本で言えばフリースクールという扱いだが、教育制度的な裏付けをもっている点が日本のフリースクールとは異なっている。世界の教育制度の研究者である永田佳之さんや古山明男さんによれば、韓国の教育制度は多様性に対する取り組みの面で日本よりもずっと先進的な位置を占めている(というより、日本の教育行政があまりにも保守的すぎるのだが。韓国の制度についてより詳しく知りたい方は、永田佳之著『オルタナティブ教育 ― 国際比較に見る21世紀の学校づくり』〔新評論2005年〕を読まれるといい。また、教育の多様性の会での古山さんの発言も参考にしてほしい)。

2007年08月25日

韓国にコネクショニストの友を発見2

左端が日本シュタイナー幼児教育協会役員の松浦園さん、中央は飛び入り参加の年綱秀夫さん(ヴァルドルフの教員養成で修行中)

さて、緑の森の学校だが、この学校が対案学校として始まった背景には、この学校を特徴付けている興味深い実践への希求があったという。それは、いわゆる健常の子どもたちと障がいをもつ子どもたちが同じクラスで学ぶ「統合教育」への取り組みだ。これは、韓国の国内でも希有な試みであるばかりか、世界のヴァルドルフ教育の流れのなかでも数少ない試みに入る。治療教育という分野が早くから確立されたアントロポゾフィー・人智学の世界では、統合教育への流れが大きくなる余地がなかったことがその理由だろう。

緑の森の学校では、定員の1割までなんらかの障がいをもっている子どもたちを受け入れる方針だという。クラス担任は原則としてひとりで、副担任は置かず、その代わりに専門のトレーニングを受けた教師(アントロポゾフィーの治療教育ではなく、韓国で一般的に取り組まれている特別教育の教師)を置いて、各クラスのニーズに応じてその教師が臨機応変に対応しているという。この方法で授業がきちんと成立するのはすごいことだと思う。日本でも栃木に統合教育を目指したヴァルドルフ学校があったが、様々な事情で、継続が難しくなったようだ。

まず統合教育という大きな目標があり、その上でヴァルドルフ教育という方法論が援用されている。これが緑の森の学校のイメージではないかと、金さんのお話から印象づけられた。金さんは、この学校方向性に大きな可能性を感じていると言い、統合教育への方向付けのなかでコリスコ会議に意義を見出しているとも語った。

コリスコ会議というのは、最初のヴァルドルフ学校の校医だったオイゲン・コリスコ医師が提唱した医学の教育的なアプローチを継続・発展させていくために、教師、医師、父母、療法士、治療教育者たちが専門領域を越えて対話を重ねていく国際カンファレンスだ。アジア地域でも、2006年にインドとフィリピンで開催されている。

統合教育に関わる金さんが、この流れに関心をもつのは自然なことだと感じる。「コリスコ会議を日本と韓国が協力して開催したら素晴らしいことだと思います。手を携えれば、物事はより容易に実現できるのではないでしょうか」と、金さんは投げかける。松浦園さんとの話しあいでも、日本シュタイナー幼児教育協会と韓国の幼児教育者養成グループとの交流を前向きに検討していこうと、意気投合した。翌日からは藤野のヴァルドルフ教師の集いに合流し、日本の学校との交流の道を探られるのだろう。

韓国と日本のヴァルドルフ学校とヴァルドルフ学校、幼稚園と幼稚園、そして国際会議の共催。金さんの視点ははじめからおわりまで「手をつなぐこと」から離れることがなかった。うん、面白い。

韓国にコネクショニストの友を発見。貴重な出会いの一日だった。


* 緑の森の学校のプロモーション・QuickTimeムービーを預かった。とても生き生きした映像で、統合教育の一端もかいま見えて面白い。見てみたい方は、ご連絡ください。

2007年08月27日

「子ども時代」:時間と場所を共有することの大切さ

9月2日、子ども時代のためのアライアンスの国際大会の報告に広島からやってくる、弁護士・定者吉人さんからメッセージが届いた。以下、定者さんのメッセージ。


みなさん
お元気ですか。

私は、この7月に、ブラジル、サンパウロで開かれた「子ども時代のアライアンス、コア・ミーティング」に参加してまいりました。懐かしい、ウテさんと会うことができ、うれしかったです。

今回の「コア・ミーティング」は、主として南米での、アライアンスの今後を考える、という狙いがあり、ブラジルはもちろん、ペルー、チリ、アルゼンチンから参加者がありました。イギリスからは、アライアンスの提唱者の一人、クラウダーさんが参加され、いろいろとアドバイスをしておられました。

1日目に、自己紹介をし、互いの活動状況の報告をしあった後、2日目にかけて、今後のアライアンスの活動はどうあるべきか、につき、グループに分かれて討議をおこなうなどして、意見を出し合いました。2日目は午後から、モンチ・アズールの見学などに出かけました。3日目、4日目は、クラウダーさんの講演会や、子ども時代についてのシンポジウムが行われ、これに参加しました。3日目のクラウダーさんの講演会の際は、500人以上も入る大きな会場が満席になり、びっくりしました。5日目(最終日)には、参加者それぞれが、感想を述べました。今回の会議に参加して自分は一人じゃないとわかった、思いを同じくしそれぞれに取り組みをしている人がこんなにも多いことを知ったことが何よりの収穫だった、時間と場所を共有することの大切さを感じた、などの意見が印象に残っています。

時間と場所を共有することの大切さは、日本でも変わらないと思います。そろそろ日本でも、アライアンス会議をしませんか。

定者 吉人


2007年09月12日

カキ、コキ、身辺雑記 vol.1

9月の声を聞いたとたんに忙しくなった。

テリーさんの集いをきっかけに社会問題イニシアティブがスタート、オルタナティブ教育を推進する会設立準備のミーティング、ヴァルドルフ学校運営者連絡会のとりまとめと報告書づくり、久しぶりに子ども時代のためのアライアンスの集いを開催し、子どもの権利条約が締結された11月20日にちなんだ「子ども時代週間」の企画が進行中。竹の子の会(親子の保育の場)の新学期が始まって子どもたちとの再会を喜んだのもつかの間、小学生クラスの準備がなかなか進まない(汗)。ホームページ制作の仕事も4本が並行して進行中の上、遅れているDr.ハウシュカのメールマガジンの発行も急がなくてはならないし、 ニュースレターの校正の仕事と講座の案内づくりも締め切り間近かだ。

そんなこんなで、ブログの更新もままならない日々を送っている。進行中のプロジェクトひとつひとつにお伝えしたい重要なエピソードが詰まっているし、新しい発見や社会論の解説の続きも書きたいのだが、しばらくはお預け状態が続くと思う。

学校運営連絡会でも何度も話題になっているのだが、私たちの活動に切実に求められているのは専従を置いた事務局機能だと思う。課題やアイディアは次々に生まれてくるのに、それを実務に移していくためのリソースが決定的に不足しているために、せっかくよい発想があってもそれを生かすことができないし、重要な機会に動けなかったりすることがあまりにも多いのだ。

各ヴァルドルフ学校が積極的に共通の事務局機能に意義を見出すことができ、共同で維持費を持ち合うことができれば、ヴァルドルフ教育の発展に大きな力になるだろう。8校のヴァルドルフ学校だけでは維持しきれないかもしれないが、日本シュタイナー幼児教育協会と協力するという可能性だってある。

じつはフォーラム・スリーの活動にも、アントロポゾフィー・人智学の活動の事務局機能のような存在として、運動のなかに機動性をもたらそうという意図がある。ニュースレターの発行にしても、さまざまなネットワークや企画のアレンジにしても、アントロポゾフィー・人智学運動の事務局的な役割を果たしていると思っている。

そんな機能がしっかり動いていくためにも、アシスタントやスタッフに有給で動いてもらえる状況をしっかりつくりたい。そのためには安定した財源確保が必要で、現在、物販や会場などの活用について、スタッフが一丸となって新しい企画を進めているところだ。次号のニュースレターにいろいろな案内を同封する予定なので、お楽しみに&ご協力を!

(そうそう、月刊オープンフォーラムの購読収入も大きな助けになるので、購読者拡大キャンペーンにも乗っていただければ、超嬉しい。)

イエナプラン教育を日本に1

永田佳之著『オルタナティブ教育―国際比較に見る21世紀の学校づくり ―』新評論2005

先日、元国立教育政策研究所の研究員で、今年の春から聖心女子大の准教授に就いた永田佳之さんとお話する機会を得た。お子さんをオーストラリアのヴァルドルフ学校に通わせた経験もあり、ヴァルドルフ教育にも理解のある研究者で、「シュタイナー教育の最大の特徴はセレンディピティーがあること」という彼の持論は傾聴に値すると思う(セレンディピティーというのは、意図せずにいろいろな宝物を手にする才能というような意味で、「幸運力」とでも訳せるかもしれない)。

比較教育学の専門家である永田さんと日本のオルタナティブ教育の状況について話しているなかで、オルタナティブのなかでヴァルドルフ教育だけが独走しているのが気になるね、ということが話題になった。永田さんによれば、これは日本に限ったことではないらしく、世界中でヴァルドルフ学校がダントツの躍進を見せているのだ。ヴァルドルフ教育の柱になる理念が明確にあり、カリキュラムや教員養成が整備されていることが、その躍進を支えている。

リヒテルズ直子著『オランダの個別教育はなぜ成功したのか ― イエナプラン教育に学ぶ ―』平凡社2006

これは喜ばしいことかと言えば、そうとばかりも言っていられない。社会というものは多様性によって健全性を保っていくものだし、オルタナティブな選択のなかで自分と比較できるような「朋友」がいることでヴァルドルフ教育も自分たちを客観視する視点をもちうると思う。ヨーロッパやアメリカが経験したように、ヴァルドルフ教育の突出ぶりが社会のなかに反感を呼び起こし、大規模なヴァルドルフバッシングにつながる可能性もある。

それに、世の中には、公教育には満足できないけれども、ヴァルドルフ教育も肌に合わないという人もいる。そのような人たちが学校探しをするなかで、ヴァルドルフ学校の門を叩くこともあるはずで、そこで適切な対応ができることはとても大切だ。自分たちのことだけに必死であればよいという時代は終わったのだと思う。そのためにも、ヴァルドルフ教育関係者がオルタナティブという視点をもつことが、ますます必要とされてきていると感じている。

そんななか、イエナ・プランという教育メソッドについて詳細に紹介する催しの情報が飛び込んできた。月刊オープンフォーラムでもご紹介した、オランダ在住のリヒテルズ直子さんが進めている企画だ。個別教育を重視するイエナ・プランの実践は、ヴァルドルフ教育を目指す人たちにも刺激的な内容をもっていると思う。

世界で子どもが一番幸せな国オランダのイエナプラン教育
― 一人ひとりの子どもを育てるマルチエイジの小学校 ―
シンポジウムとワークショップ
2007年11月10日(土)11日(日)
主催:オランダ・イエナプラン教育の会
後援:在日オランダ大使館、朝日新聞社、平凡社
協賛:株式会社カグヤ
http://home.planet.nl/~naokonet/eventguide.htm http://www.freeml.com/diversity/4803

社会のなかで「ともに発展していく」という感覚を磨くことが、ヴァルドルフ教育の真の発展の鍵を握っている。イエナ・プランのような動きに注目していくことは、そのための大きな助けになることは間違いない。

2007年09月19日

アライアンス報告会と子ども時代週間2007


9月2日の夕べ、久々に子ども時代のためのアライアンスの集いが開かれた。7月9日~13日にブラジル・サンパウロで開かれた「子ども時代のためのアライアンス・代表者会議」に日本から参加した、広島の定者吉人さんの報告会を兼ねて開催した。

定者さんのブラジルの会議の印象は、アメリカ大陸のアライアンスの活動が非常に活発であること。ウテ・クレーマーさんのような力のある活動家がいることや、草の根運動が力をもっていることが大きいのだろう。そして、「出会うことの大切さ」の共有。広い大陸に散らばって活動している人たちは、この会議から「ひとりではない」という大きな勇気をもらって帰って行ったそうだ。

国連の「子どもの権利条約」の重要性が確認されたことも、同会議での大きなできごとだった。この「子どもの権利条約」は、ヴァルドルフ教育者から敬遠されることがある。思春期前の発達段階にある子どもには判断を強要しないことが健全な内的発達を促すというのがヴァルドルフ教育の基本的態度だ。それに対し「権利条約」では、子ども自身の権利の主体性を明確にする上で、子どもの発言権を積極的に認めていくと読むことができる条項がある(第12条、第13条)。「権利条約」にコミットする活動家のなかに、この部分を拡大解釈して、子どもの主体性をことさら強調する傾向があることが、ヴァルドルフ教育者が「権利条約」を敬遠することにつながるのだろう。

しかし、条約をきちんと読めば、「児童の意見は、その児童の年齢及び成熟度に従って相応に考慮されるものとする」(第12条)という条文も定められている。大切なのは、「子どもの権利条約」の全容をヴァルドルフ関係者もしっかりと理解し、その適切な運用について幅広い対話をはじめることではないだろうか。この条約の可能性を、子ども時代のためのアライアンスという場であらためて問い直していくことは大きなチャレンジだと思う。

報告会では、子どもの権利条約が締結された11月20日にちなみ、その前後に「子ども時代週間」を開催しようというアイディアが共有された。「子ども時代週間」の実行委員会に参加したい方は、下記に連絡してほしい。


秋元 tel.090-7839-0103
ciaokaori(アットマーク)msj.biglobe.ne.jp

2007年10月05日

子ども時代の日 その1

9月に定者さんを囲んだミーティングをもち、そこで「子どもの権利条約」をテーマにした「子ども時代週間」を企画しようという話になった。しかし、夏休みが終わってみんな忙しくなってしまい、なかなか企画を進める話しあいができずにいた。やっと、先日、秋元香里さんと私としまだれいこで話しあいをもつことができた。

その話しあいではっきりしたのは、「子どもの権利条約」をテーマにしたイベントという前提で話をすると、どなたも「遠い世界の話」という感じだということだ。内容はともかく、子ども時代週間の切り口として権利条約を前面に出してもなかなか難しいのではないかという話になった。

一方で、「子ども時代週間」の話にフォーラム・スリーのスタッフが乗ってくれて、フォーラム・スリーの企画として、ライゲンの体験、お話の会、ロウソクづくりやペインティングのワークショップなどを11月30日に開催する計画がとんとん拍子に進み始めた。

今回の話しあいでは、これを子ども時代の活動として開き、今回は権利条約を前面に出さすに「子ども時代の日」としようということになった。その際、子ども時代の大切さを再確認してもらえるようなパンフレットを用意して来場者に配ろうということで意見がまとまった。パンフレットは、入間カイ君が出している『子ども時代の権利』から、ダイジェスト的に印象的な内容をピックアップしてまとめることにした。もちろん作業の過程でオリジナルな文章も入ることになるかもしれない。

作業はフォーラム・スリーの事務所に集まって行うことに。この企画に関わりたい方は、ぜひご連絡ください。

感覚のワークショップをつくるためのワークショップ!

自分の感覚を開くことを学び、感覚のなかの「普遍人間」の存在に気づくことで、社会や教育への新しい関わりを発見していく…。そんな新しい試みとして始まった感覚フォーラムの第2回。

今回は、「感覚を開くためのワークショップをみんなでつくろう!」という新しいチャレンジ。

様々な感覚体験やディスカッションを通して、大人ひとりひとりが自分の内なる感覚を発見し目覚めていくきっかけを提供し、その気づきを出発点として、その感覚と自分の内面生活、日常生活、社会環境、教育との関係へと発展させていけるような可能性をもったワークショップを新たに創造、できるかな?

きっと楽しい集いになるはず。様々なアイディアをもってお集まりいただきたい。

第2回「感覚フォーラム」の集い

ゲスト:山本百合子さん(山本記念病院院長)

http://www.forum3.com/pdf/2007/sos2.pdf

テーマ「人の全体性に関わる感覚 ― 医学と繊細な音体験から」

感覚ワークづくりのためのワークショップ!
10月14日(日)13:30~15:30

アウディオペーデ研修センター(東急東横線・綱島駅より15分)

http://homepage2.nifty.com/audio-pade/

参加費500円

★ 感覚フォーラム第1回の集い報告
http://www.forum3.com/03/03106101.html
★ 感覚フォーラムおすすめ参考新刊図書
『不安げな子・寂しげな子・落ち着きのない子』(仮題)
http://www.forum3.com/07/books2007.html#latest

About 出会いと交流

ブログ「三相至嘱」のカテゴリ「出会いと交流」に投稿されたすべてのエントリーのアーカイブのページです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のカテゴリはルドルフ・シュタイナーの社会有機体論です。

次のカテゴリは子ども時代の権利です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.34