前回述べた「個別性」、「一般性」、「相互性」という3つの相は、ルドルフ・シュタイナーの言う社会の3領域、「精神活動」、「法活動」、「経済活動」のなかで働く原理である。
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精神活動
精神活動(精神生活とも)の領域は、人間の「個別性」に関わる社会生活のすべてが属している。その人の才能、物事の考え方、身体能力や性格など、その人固有の事柄に関わることすべてがこの領域に帰属する。
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法活動
法活動(法・国家生活とも)の領域は、人間の「一般性」に関わる社会生活のすべてが属している。純粋な人間性の観点から見て人が人間らしく生きるための、尊厳や権利に関わる事柄すべてがこの領域に帰属する。
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経済活動
経済活動(経済生活とも)の領域は、人間の「相互性」に関わる社会生活が属している。人が人間らしい生活を営むために、商品が生産され、流通され、消費されるまでのプロセスがこの領域に帰属する。
ルドルフ・シュタイナーの社会論の肝は、人間がもつ「個別性」、「一般性」、「相互性」というそれぞれの相が、社会の中にはっきりと独立した領域として表現されていくという一点に尽きる。個別性の原理がきちんと精神活動の領域のなかで働き、一般性の原理は法生活のなかで、相互性の原理は経済活動のなかで働くときに、社会は健康を維持することができるという。それはそうだろう。まず、「一般性」と「個別性」を同じ鍋のなかに入れることはできない。
たとえば人は自分の仕事を選ぶときに、多くの場合、自らの個性に適合する職業を探そうとするだろう。そこでは個別性の原理が働いている。同じその人が失業したとする。その人は職業安定所に赴き、失業保険を請求する。失業保険は、働く者すべての権利として、その人の個性にかかわりなく支給される。そこでは一般性の原理が働いている。
もしも失業保険の支給がその人の能力や信条などによって左右されるとしたら、私たちが人として生活する権利が脅かされることになる。また、職業がその人の適性にかかわりなく、平等に分配されるなら、社会はたちまちのうちに麻痺してしまうことだろう。
「相互性」もまた「個別性」「一般性」とはかみ合わない。経済循環において、生産された商品は平等に分配されればよいというものではないし、ある特定の才能をもった人物に独占されるようなことがあれば、それもまたおかしなことだろう。経済は、供給力とニーズの相互性のなかでバランスが保たれるときに、もっとも健全さを保つことができる。
以上の原理を踏まえて、社会のなかのさまざまな活動の本質が、「精神活動」、「法活動」、「経済活動」のどこに位置づけられるのか、さらに見ていきたい。社会の意外な様相がそこに現れることに、驚かれるかもしれない。
