前の記事で、立法は「一般性」に関わり、司法は「個別性」関わると書いた。
このことは、じつはルドルフ・シュタイナーの著書を読んでも明確には書かれていない。これは私がルドルフ・シュタイナーの社会論と付き合っていくなかで行き着いたオリジナルなアイディアだが、この整理の仕方によってこの社会論への見通しが格段によくなると思っている。
ルドルフ・シュタイナーは、彼の社会論のなかで、社会のなかに以下の3つの領域を認めている。
- 精神活動の領域
- 法活動の領域
- 経済活動の領域
それぞれの内容をそのままの言葉の印象から類推すると、ルドルフ・シュタイナーの社会論を正しく理解することがかえって難しくなる。彼が「精神」「法」「経済」という言葉で何を指し示しているか、ここで一度明確にしておきたい。その考察の出発点として、私たち自身、つまり社会における人間のあり方を見ていくと、ルドルフ・シュタイナー独特の観点に近づきやすくなると思う。
社会における私たちのあり方は、3つの相をもっている。
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一般性:ひとりひとりがみな、
同じ人間であるということ。あなたもわたしも同じ人間であるという部分を共有しているという事実。 -
個別性:ひとりひとりがみな、
個としての違いをもっているということ。あなたはあなた、わたしはわたし、であるという事実。 -
相互性:ひとりひとりがみな、ひとりでは生きることができず、
他者によって支えられ、またわたしも他者を支えているということ。人はみな、支え合って生きているという事実。
この事実は、誰しもが無意識にであっても明確に経験していることだと思う。大切なのは、その経験を自分の明らかな意識のなかに照らし出してみることだ。社会は人間がいなければ存在しない、人間のふるまいの総体であることに異論はないだろう。人は常に、先にあげた3つの相をダイナミックに移行しながら社会生活を営んでおり、3つの相とその人との関係の仕方が、社会の有り様を規定していると言える。そのことを、自分自身の内側の体験を敷衍していくことでリアルに感じることができれば、私たちはよりよく社会有機体とつながっていくことができる。
このことに基づいて、「精神活動」「法活動」「経済活動」の真の意味を探っていこう。
