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カイ君のアントロポゾフィー研究所

私のブログ先輩である入間カイ君の「入間カイのシュタイナー探訪」というブログが、「入間カイのアントロポゾフィー研究所」にリニューアルした。

聞いたところによると、リニューアルの背景はなかなか込み入っているが、名称が「シュタイナー」から「アントロポゾフィー」に変わったという単純な受け取り方でも、そこからいろいろな刺激を受けることができる。

私は、アントロポゾフィー・人智学の運動に「シュタイナー」の名称を冠することに、いつも小さな抵抗を感じる。オープンフォーラムの誌面では、なるべく「シュタイナー学校」を「ヴァルドルフ学校」と表記しているし、「シュタイナー思想」という言葉を誌面で使ったことは、たぶん一度もないと思う(もちろん、団体名などの固有名詞はその命名者の意向を最大限に尊重しているわけだが)。

それは、ルドルフ・シュタイナーを尊重しないとか、ルドルフ・シュタイナーを超えたいというような、不遜な考えからではなく、むしろルドルフ・シュタイナーの遺志を尊重しようとすれば、必然的に導かれる選択ではないかと思っている。

ルドルフ・シュタイナーの講演録を読み込んでいくと、ある印象を抱くようになる。彼が語る言葉は、常にアントロポゾフィー・人智学という客観的な存在を体現する言葉であって、その意味で彼の言葉ではない。もちろん、ルドルフ・シュタイナーという人格を通してそれは表現されているのだが、その言葉のなかで彼はどこまでも無色透明になろうとする。

ルドルフ・シュタイナーが為した仕事は、本来、彼の恩師であるカール・ユリウス・シュレーアーが為すべきものであったと、ルドルフ・シュタイナーは彼の自伝で述べている。アントロポゾフィー・人智学という実態が地上において形をとるための仲介者は、ルドルフ・シュタイナーという人格に還元されるものではない、ということはたいへん重要な指摘だと思う。

彼の自伝を読むたびに、ルドルフ・シュタイナーが築いたものは、シュタイナー思想でもなく、シュタイナー学校でもなく、シュタイナー医学でもなく、シュタイナー農法でもなく、あなたの考え、あなたの教育、あなたの医学、あなたの農業だったのだ、という思いを新たにする。

その遺志を忘れないためにも、名称ひとつが大きな意味をもつのだと思う。

しかし、その選択は、やはり個々の判断に委ねられるべきだ。私の考えが誰かを縛ることを私は望まない。この文章を考えるための材料としていただければ嬉しく思う。

オープンフォーラムNo.60に関連記事があるので、興味があったら読んでください。)

コメント (1)

私は、シュタイナーは今生まれるべき時代に現われた聖霊だと思っています。釈迦が生まれたように、キリストが現われたように、シュタイナーは人類の覚醒のために現われた人だと思います。私はシュタイナーの名前を頂くことに正しさを感じます。

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2007年08月20日 08:10に投稿されたエントリーのページです。

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