オープンフォーラムNo.64の「ニュースフラッシュ」のコーナーで「裁判員制度はルドルフ・シュタイナーの社会有機体三分節化に逆行」と書いたところ、ひとりの読者が記事に反応してくださった。
編集者としてもあの記事の説明では不十分だと理解しており、いずれきちんと特集を組むつもりでいる。ただ、その企画も少し先のことになりそうなので、ここで簡単に説明をしておきたい。
ご存じの通り、ルドルフ・シュタイナーの社会論に関する基本的な文献は以下の3冊が邦訳となって刊行されている。
- 『現代と未来を生きるのに必要な社会問題の核心』(イザラ書房)
- 『シュタイナー経済学講義』(筑摩書房)
- 『社会の未来』(イザラ書房)
裁判員制度に関係する内容は、特にこのうちの『社会問題の核心』に述べられている(130~131頁)。かいつまんで書くと、ルドルフ・シュタイナーはそこで、裁判など司法に関わる事柄のすべては法の領域から切り離し、精神生活の領域に委ねられなければならないと語っている。裁判における正しい判断は、無作為に抽選された一般人によっては決して実現せず、裁かれる側の個々の具体的状況を把握できる感受性と理解力をもっていることが条件となる。そのためには、文化の領域から意識的に裁判官を選出するような社会システムが必要だというのだ。
日本での裁判員制度導入の動きの背景にはいろいろな要素があるようだが(それはまた追って報告したい)、司法の本質と立法の本質をはき違えた思考方法がその根底にあるように思う。立法においては、成人した人なら誰もが有する判断力に基づいて法律が形成される。そこでは「一般」の原理が働くのだが、一方、司法の領域においては「個別」の原理が適用される必要があるということなのだ。事柄に即して考えれば、ルドルフ・シュタイナーの言い分に深く頷くことができるだろう。
この雑文が裁判員制度の意味を再検討することに少しでも役立てば嬉しく思う。
なお、この記事を掲載したオープンフォーラムNo.64は、2007年10月のフリー公開までは購読者にのみ公開している。本誌をお読みいただくことは、フォーラム・スリーの活動を支えていただくことにもつながる。購読をされていない方は、ぜひ購読手続きをしてほしい。
