« 「子ども時代」:時間と場所を共有することの大切さ | メイン | カキ、コキ、身辺雑記 vol.1 »

ルドルフ・シュタイナーの経済論1

ある方から、経済についての本の編纂に参加しないかと誘いを受けた。三相化社会論とともに取り組んできたテーマなので、とても嬉しく思い、すぐに参加の意思をお伝えした。

社会有機体論の話題もまだ書きかけだが、並行しながら、経済論についてもここに書いていきたいと思う。以前、環境問題との相関関係において経済についての小論を書いたのだが、友人から「よくわからない」と言われたこともあり、なんとか「わかる経済論」を目指したいと思う。皆さんからもぜひ突っ込みをお願いしたい。

まずはルドルフ・シュタイナーの経済学を大きく俯瞰してみよう。

一般的な経済学は、経済の活動のなかにただひとつの循環を見る。商品の生産、流通、消費、そして再生産…という循環だ。これはルドルフ・シュタイナーの経済論でも同じことだが、その循環と対をなすもうひとつの大きな循環の存在に気づき、そのふたつの大循環の相関性において経済の本質を捉えていくところがルドルフ・シュタイナーの経済論の特徴のひとつだと思う。

その、もうひとつの大循環とは、経済活動に注ぎ込まれる人間の精神活動の循環のことである。

経済の原点は、自然からとられた物資をお互いのニーズに従って単純に交換するところにある。しかし、人間の営みが複雑になるに従い、単純に自然からとってきた物資に手を加えて、より大きな価値を商品に付与することで、経済に新しい要素が加わることになった。物資の原価に上乗せされる付加価値として表現されるもの、それは人間の才知であり、精神活動である(人間の労働を精神活動の領域に位置づけることができる点については、また後で触れる)。ルドルフ・シュタイナーは、この付加価値=人間の才知の循環に目を向ける。これをここでは「経済の精神的循環系」と呼ぶことにしよう。

経済の物質的な循環は、自然から物資が採取され、商品が生産され、流通され、消費され、それがふたたび自然に還るところで一巡する。一方、経済の精神的循環は、人が教育を受け、自らの才能を伸ばし、その才能をもって経済活動に関わるところに源をもつ。経済の物質的循環系においての「自然」に相当するのが、経済の精神的循環系においては、三相構造でいうところの「精神活動の領域」だ。その才知が商品に付加価値として加わり、商品とともに流通過程にのって運ばれていく。そして消費者の手に渡り、物質としての商品は最終的には自然に還っていく。しかし、商品に加えられた付加価値はそこで消滅するのではない。

ここが経済の精神的循環の要となるところなので、次項でじっくりと考えてみたい。

About

2007年08月29日 09:05に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「「子ども時代」:時間と場所を共有することの大切さ」です。

次の投稿は「カキ、コキ、身辺雑記 vol.1」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.34