昨年9月に生まれた息子が今日で11か月の誕生日(?)を迎える。
ヴァルドルフ教育で言うところの「頭の小さいタイプ」で、両親に似て神経質なタイプだが、ニコニコとハッピーで、しっかりと肉付きのよい身体はずっしりとして「詰まっている」という形容がふさわしい。お陰様でいまのところ病気知らずで、春先に一度だけ出した高熱も一日で収まってしまった。
日々子どもを間近にみるなかで、あらためてルドルフ・シュタイナーやカール・ケーニッヒの言葉に耳を傾けてみると、いままで読み落としてきてしまった観点に出会い、はっとさせられる。
最近、『シュタイナーの美しい生活』というタイトルで西川隆範さんが編んだルドルフ・シュタイナーの講演録集を読んだのだが、そこに、「子どもの教育を子ども対大人の関係で見るのはマーヤー(幻影)である」という趣旨の一節があった。
私たちの肉眼に見えている子どもを教育することは決してできない。「私たちが今の人間として、今の子どもに語るというのはマーヤーで」あって、「私たちの教育者としての来世が、生徒の前世と語りあう」のだと、R.シュタイナーは言う。つまり、目の前にいる子どもの本質は前世の生の結実であり、大人が教育的に働きかけることができるのは、大人のなかの未来へと携えていく力だけである」という指摘を、いまなら理解できる気がする。
あと一月で陽亮・ルーカスの誕生日。連れあいは今からプレゼント用の人形づくりに精を出し、私にも「何か作れ」とせっつくが、いまはただ、彼の全存在を受けとめ、これからお互いを繋いでいくための言葉を紡ぎ出すことで精一杯の日々である。
